2006年 09月 25日
レイナルド・アレナス 「夜になるまえに」(1) |
カストロ政権下のキューバで、反体制派の同性愛者の作家として弾圧を受けたレイナルド・アレナスの自伝的な作品「夜になるまえに」を読みました。
この作品は、2000年にジュリアン・シュナーベル監督によって映画化され、あのジョニー・デップがドラァグ・クイーン役を演じて話題になりました。
映画もそれなりに良く出来ていましたが、原作の小説の方がずっと迫力に満ちていて、カストロの独裁政権がいかに恐怖に満ちた抑圧的な政権であったかが詳しく記述されています。
特にアレナスが収容された刑務所での非人間的な囚人の扱いは読んでいるだけで吐き気を催してきます。
ただ私がこの作品を呼んで一番、印象に残ったのは、1943年生まれのアレナスが、カストロの独裁政権下で青春時代をおくった60年代のキューバの首都、ハバナで若い男たちを相手に行なった数々の性的冒険のエピソードです。
カストロ政権は同性愛者を弾圧し、同性愛者の強制収容所を作ったことで悪名高いのですが、アレナスがハバナで生活し始めた1963年頃には、すでに同性愛者の取り締まりが始まっていたそうです。
そんな中、アレナスやそのホモ仲間は、かたっぱしから男とヤリまくり、1968年にアレナスがこれまで何人の男とヤッたか思い出そうとして計算してみると、少なくとも5000人の男とヤッたという結果が出たそうです!
田舎に生まれて、はじめて男とセックスしたのが8歳のとき、メンドリやメス馬を相手にセックスするのが子供時代の遊びだったといいますから、早熟だったことはたしかですが、アレナスだけでなく、いつも彼とつるんで遊んでいたホモ仲間もそれくらいの数はこなしていたといいます。
革命政府が同性愛をブルジョアの悪しき伝統として非難し、同性愛者にたいする取り締まりを強化していた中で、どうしてそれほど沢山の男とセックスすることができたのでしょうか?
当然のことながら、当時のハバナにはゲイバーやゲイサウナの類は一軒もなかったのです。
その謎を解く鍵のひとつは、ラテンアメリカでは、アラブ・イスラム圏と同様、少なくともタテマエの上では、男同士のセックスにおけるタチ役とウケ役の区別がはっきりしていて、タチ役、つまり、ペニスを穴に挿入する側はホモとはみなされないという風潮があることです。
ホモとみなされるのはアナル・セックスでウケ役をする人間だけで、タチ役を務める限り、自分がホモであると意識する必要はなく、そのため、本来ならば「ノンケ」に分類される男たちが、みずから進んで尻を差し出すホモを相手にセックスして手軽に性欲を満たす習慣があるのです。
1960年代のハバナの夜の街にはセックスを求めて兵舎や寄宿舎を抜け出してきた独り者の兵士や学生が溢れていて、アナレスはそういう男たちを何百人も自宅の部屋に連れ込んだといいます。
またアレナスの住んでいた家の近くには体育学校があって、そこの生徒も沢山、自分の部屋に連れ込んだそうです。
あるときなどは、彼とヤリたがる生徒が15人も彼の部屋に集まったといいます。
さらに教師までもが噂を聞きつけてアレナスの部屋に忍んできて、生徒とかちあったりしたそうです。
昼間はビーチに行くと、セックスをしたくて来ている若者が何十人もいて、そういう若者を片っ端から近くの藪の中に連れ込んで、彼らに身を任せたそうです。
さらにホモ仲間と一緒に軍の駐屯地のある地方の町まで遠征して、そこに駐屯していた連隊の兵士全員とヤッたり、何百人もの学生が寝泊りしている大学の寮に行って男を漁ったとも書いています。
アレナスはキューバでは60年代ほどセックスが盛んな時代はなかったといっています。独裁政権の抑圧にたいする反抗として、また抑圧から逃れる手段として国民みんながセックスに耽るようになったというのです。
独裁者のカストロは、国民、特に同性愛者が性の自由を謳歌することが気にいらず、同性愛者を取り締まる法律を制定し、同性愛者を一層、迫害し、最後には同性愛者を収容する強制収容所まで作るのですが、アレナスにいわせると皮肉にもそのような措置がキューバにおける同性愛の活性化につながったそうです。
警官に見つかったら刑務所に何年もぶち込まれる。これが最後のセックスになるかもしれない。そういう緊迫した思いが、逆にセックスの快感を高め、強烈なスリルと満足感をもたらすようになったというのです。
70年代に入ると、ハッテン場だった浜辺が外国人観光客にだけ解放され、キューバ国民には立ち入り禁止になり、多くの若者が地方の農村に送られ、サトウキビ農場での強制労働に従事させられるようになって漸く、カストロの性の抑圧政策は効果を現しはじめます。
その頃、アレナスはすでに反体制作家として当局に目をつけられていて、友人と信じていた作家仲間に裏切られ、無実の罪で刑務所に送られます。
刑務所で2年間、服役したあと、過去の自分の行為を反省する「自己批判」の文書を当局に提出してやっと解放されるのですが、その頃にはもうキューバの体制に完全に絶望していて、キューバを脱出することをひたすら夢見るようになります。
そしてついに1980年に機会を見つけて、船でマイアミに渡り、アメリカに亡命するのです。
レイナルド・アレナス 「夜になるまえに」(2)
読書ノート
by jack4africa
| 2006-09-25 22:13