2007年 01月 15日
脱ゲイリブ宣言 |
先日、あるアルゼンチンの作家が1960年にブラジル北東部の港町、レシフェに行って、男とヤリまくった回想録を読みました。
当時のレシフェは、ゲイバーやゲイサウナはなかったのですが、街中でいくらでも相手がみつかり、著者が街を歩くと、著者とセックスすることを望む黒人や黒人と白人の混血であるムラートの若者があとをゾロゾロついてきたといいます。
著者が特別、若いイケメンだったわけではありません。それどころか老人だったのですが、外国人で、白人で、金を持っているようにみえたからモテたのではないかと、著者は語っています。
これらの若者は、いわゆる同性愛者ではありません。
フランスの哲学者、ミシェル・フーコーによると、ホモセクシュアル(同性愛者)という言葉は、1890年頃、ヨーロッパのある医学者が医学雑誌ではじめて使った言葉だそうです。
なぜ医学雑誌で使われたかというと、当時は同性愛は病気の一種だとみられていたからです。
しかし、医学雑誌なんて普通の人間はあまり読みませんし、20世紀になっても1960年代まで、この言葉は一般に浸透しなかったそうです。
というわけで、1960年のレシフェには、同性愛者なんて存在しなかったのです!
男同士のセックスは頻繁に行なわれていましたが、そのようなセックスを行なう人間は、自分のことを特別な性的嗜好をもつ人間であるとは考えてはいなかったのです。
実際、日本人も含めて、古来から人間の男は、男色と女色の両方を行なう両刀使いが一般的で、男とセックスしても奇異な目で見られることはありませんでした。
唯一、西洋キリスト教圏だけが、同性間のセックスを行なう人間を「性的倒錯者」と呼んで、厳しく差別したのです。
差別が一番、酷かったのは、キリスト教原理主義国家ともいうべきアメリカで、その結果、アメリカでゲイリブの運動が生まれたのはみなさん、よくご存知の通りです。
アメリカ社会では男同士のセックスを行なう人間は、特別、異常な人間であるとみなされたのですが、アメリカの同性愛者たちも、ゲイリブの運動を展開するにあたって、自分たちが特殊な人間であるという概念そのものは受け継ぎ、自らを「性的少数者」であると規定しました。
差別する側も、差別される側も、人間を同性愛者と異性愛者の2項対立的なカテゴリーに分類するという点では変わりなかったのです。(どちらにも属さない人間は便宜的にバイセクシュアルというカテゴリーに分類されましたが)
アメリカで男同士のセックスを行なう人間が良くも悪くも特別扱いされた結果、アメリカのゲイリブの思想が世界に広まるにつれて、男同士のセックスを行なうすべての人間に「同性愛者」というレッテルが貼られるようになりました。
その結果、それまで自分のことを同性愛者であるなどとは露ほども思わず、無邪気にホモセックスを楽しんでいた男たちが、同性愛者のレッテルを貼られることを嫌って、ホモセックスをやらなくなるという現象が世界各地で起るようになったのです。
私はこれが、アメリカのゲイリブがもたらした最大の弊害であると考えています。
男としかセックスできない「純粋な同性愛者」は、人種や地域に関係なく、男性人口の大体、5%を占めているそうです。
彼らはかっては「同性愛者」というカテゴリーに分類されず、「女性的な男」というカテゴリーに分類されていました。
オマーンのハンニース、インドのヒジュラ、タイのカトゥーイ、フィリピンのバクラ、タヒチのマフ、北米インディアンのベルダーシュなど、非西洋世界では、このような女性的な男性の存在を認め、彼らに相応しい居場所を社会の中に用意していました。
彼らがセックスする相手は現在、「異性愛者」のカテゴリーに分類されている男性的な男性、日本でノンケと呼ばれる男性でした。
女性的男性(ホモ)も含めて、オンナはセックスの相手を選り好みしますが、ノンケはそうではありません。
彼らは伝統的に女性、女性的男性、少年を相手にセックスしてきたのです。
人間がいないときは牝馬やメスのロバ、羊、イルカなどで代用しました。
人間も動物もいないときには、コンニャクを使いました・・・というのは冗談ですが(笑)
私は同性愛者に対する差別をなくす最善の方法は、同性愛者と異性愛者の間の垣根を取り払うことだと思っています。
ノンケの男にたいして、「我々はホモでもノンケでもない、同じ人間だよ」と呼びかけ、彼らにホモセックスの楽しさを教え、男は女とセックスするのが正常であるという、明治以降、西洋文化を受け入れる過程で日本人に刷り込まれてきた偏狭なキリスト教的価値観から解放してあげるのです。
大半の男が女色と男色の両方を楽しんでいた、かっての日本を取り戻すのです。
ノンケをホモセックスに引き込む利点は、我々ホモにとっても非常に大きいです。
まず第一に男性人口の95%を占めるノンケがホモセックスの対象になると選択の範囲が大幅に広がります。
なにより、ノンケは我々ホモが本当に求める「男性的な男性」です。
ホモはホモとしかセックスできないという誤った思い込みの結果、我々ホモは「本物の男」であるノンケとのセックスの可能性をみずから閉ざしているのです。
その結果、本来はオンナであるのに髭を生やしたりして、外見だけは男っぽく見せ、セックスでも本当はウケ身になりたいのに、無理してタチ役をやったりしています。
アメリカのゲイリブのお陰で、ホモは女のくせに男を演じる宝塚女優になることを余儀なくされているのです!
冒頭に記した1960年のレシフェのような、大半の男が喜んで男とセックスする地域はまだアラブ・イスラム圏やラテンアメリカに残っていますが、アメリカのゲイリブ思想の急激な浸透の結果、このような大らかな性文化は急速に姿を消しつつあります。
私は偏狭で独善的なアメリカのゲイリブ運動による文化的覇権主義に抵抗し、現在、消滅しかかっている非西洋地域の大らかな性の伝統を保守し、回復する必要があると以前から考えていました。
そのような主張を述べる場として、自分のHPとブログを開設したのです。
今日はなにを食べたとか、なにを買ったとか、そんなしょうもないことを書くためにブログをやっているのではないのです!
これからも、私の意見に賛同してくださる方がおられることを信じて、蟷螂(とうろう)の斧を振るっていきたいと思っています。
by jack4africa
| 2007-01-15 20:20
| ゲイリブという幻想

