2007年 02月 01日
ある外交官の教訓 |
最近、イラクでイスラム教シーア派の民兵組織「マハディ軍」が存在感を高めているそうです。
マハディはアラビア語で「救世主」を意味する言葉で、イスラム教徒が、西洋列強と戦うときによくこの言葉を使います。
一番、有名なのは、1881年にイギリス植民地下のスーダンで起ったマハディの反乱です。
この反乱のリーダーがマハディ(救世主)を自称したのですが、大変、手強い相手で、イギリス軍は反乱を鎮圧するのに長い年月をかけ、多くの犠牲を払いました。
マハディの軍をやっと鎮圧したあと、新しく就任したイギリス人のスーダン総督は、戦乱で大きな被害を蒙ったスーダンの民衆を懐柔するために、統治はソフト路線で行く必要があると考え、スーダン各地の地方行政官に軍人の武官ではなく、非軍人の文官を任命することにします。
スーダン南部のディンカ族が住む地域の地方行政官には、外務省出身のある文官が任命されました。
ディンカ族は長身で、素っ裸で生活していることで知られている牧畜民です。
総督は、赴任する文官に、ディンカ族と仲良くし、彼らの風俗・習慣を尊重するようにくれぐれも言い聞かして送り出します。
それから一年くらい経って、スーダン南部を視察した総督は、ディンカ族が住む地域の行政官に任命した文官のことを思い出し、どうしているだろうと思って、彼が駐在しているディンカ族の集落を訪ねてみることにしました。
総督の一行が集落に近づいていくと、村の広場でディンカ族の男たちが踊りを踊っているのが見えました。
ディンカ族は、4、5人の男が輪になって、互いの腰に手を回して、一緒にピョンピョン飛び跳ねる踊りをよくするのですが、総督が目撃したのもその踊りでした。
しかし、よく見ると全裸で飛び跳ねている男たちの中に肌の色が真っ白な男が一人、混じっていたのです。
その男は、総督が地方行政官に任命したあの文官でした。
彼は、総督にいわれたように、ディンカ族と仲良くし、ディンカの風俗・習慣を尊重するあまり、ディンカ族の一員になってしまったのです。(笑)
この話は、外交官が赴任先の土地の風俗・習慣に過剰に適応することによって、イギリス人としてのアイデンティティーを喪失してしまうという、外交官が陥りやすい危険の例として、イギリス外務省で語り継がれているそうです。
by jack4africa
| 2007-02-01 07:49
| アフリカの記憶