2007年 03月 19日
カンチャナブリ |
タイのカンチャナブリに行ったのは今から10年以上前のことです。
カンチャナブリは、太平洋戦争中に日本軍が連合国の捕虜や現地人の労務者を使って建設した旧泰緬鉄道の現在、残っているタイ側の路線の駅の一つで、映画「戦場にかける橋」で有名になったクワイ河の鉄橋があるところです。
このカンテャナブリは現在は観光地になっていて、私はバンコクから一泊2日のツアーに参加して訪れたのですが、ツアー客の中で日本人は私一人で、残りは全員、欧米人やオーストラリア人などの白人でした。
今から考えると、白人のツアー客に混じってカンチャナブリを訪れたのは、随分と無謀な行為でした。
ここは泰緬鉄道の建設に動員された欧米人の捕虜が捕虜収容所での貧しい食事や過酷な労働のために、赤痢やコレラなどで多数、死亡したところで、欧米人には、旧日本軍が残虐行為を犯した場所として有名なところだからです。
私も映画「戦場にかかる橋」を見ていて、そのへんのところは一応、知識としては知っていたのですが、実際に行ってみるまでは、それほど深刻には考えていなかったのです。
ただし、鉄道そのものは大変、面白かったです。
私は特別な鉄道ファンではありませんが、これまで世界中、あちこち旅行したお陰で、スーダン鉄道とかシベリア鉄道とかけっこう珍しい鉄道に乗っています。
その中で一番、印象に残っている鉄道はどこかと聞かれたら、躊躇なく、この旧泰緬鉄道だと答えると思いますね。
現在、残っているのは、旧泰緬鉄道のタイ側のバンコクからカンチャナブリの近くのナムトクという小さな駅までの127キロだけですが、クワイ河を見下ろす峡谷の崖の中腹から突き出た「桟道」と呼ばれる木の橋の上に敷いたレールの上を走るスリル満点の区間があるからです。
この桟道を走っているときに汽車の窓から覗くと、真下が深い谷になっていて、もしこの桟道の木製の足場が何かの拍子に崩れたりしたら、列車もろとも何十メートルも下の谷底に転落するわけで、本当にハラハラドキドキしました。
なにしろ、この鉄道は、レールだけでなく、レールが敷設されている木製の桟道も、何十年も前に日本軍が建設した時代のものをそのまま使っているのです。
このときのスリルが忘れられず、何年かあとにまたこの鉄道に乗ったのですが、さすがにタイの国鉄も心配になったのか、木製の足場をコンクリートの基礎で補強していました。
ただし、安全になった分、スリルは減ったわけで、面白みはなくなっていました。
この鉄道に乗っているときは、ほかのツアー客と一緒にワイワイ騒いでいたのですが、終点のナムトクからバスでカンチャナブリに引き返し、「戦争博物館」を訪れたころから、徐々に居心地が悪くなってきました。
戦争博物館というのはニッパ椰子の葉と細竹で作られた、かっての捕虜収容所の宿舎を再現したところで、細長い宿舎の内部は、真ん中の通路を挟んで、両側に竹を組んで作った捕虜のベッドがずらりと並び、壁や柱には、当時の捕虜たちの生活を偲ばせる写真や絵が展示されています。
泰緬鉄道の労働に狩り出された連合軍の捕虜たちは、貧しい食事と病気のせいでガリガリにやせ細っていたと書いてあるのをどこかで読んだ記憶がありますが、写真の捕虜たちは痩せてはおらず、血色も良く、健康そうで、黒いモッコふんどしだけを身に付けた殆ど全裸の姿は、不謹慎ながらとてもセクシーでした。
ただ写真のほかに生き残った捕虜が描いたと思われる日本兵に拷問を受ける捕虜の絵が展示されていて、その日本兵の残虐さを強調した稚拙な絵とジャップという日本人の蔑称を多用した説明文は見ていて不愉快でした。
この「戦争博物館」のあと連れて行かれたのは、鉄道の建設中に病気や事故で亡くなった連合軍捕虜の墓地でした。
建設工事中に死亡した連合軍捕虜の数は、1万3000人といわれていて、カンチャナブリには、彼らの墓地が何箇所かあるのですが、我々ツアーの一行が連れて行かれたのはその内の一つでした。
墓地の管理は、カンチャナブリにある仏教寺院が行なっているそうで、よく手入れされ墓地には、捕虜たちの墓石が整然と並んでいました。
墓石には亡くなった捕虜の国籍、所属部隊、階級、姓名、享年が銘記されています。
私が最初に見た墓石の主はオーストラリア兵で、享年は24歳と記載されていました。その隣の墓石の主の享年は21歳、その隣は19歳・・・・
私はその死亡年齢の若さに驚き、そのとき初めてここで何が起ったかを理解したのです。
前途有望な若者が多数、ここで亡くなったのです。
耳をすますと、若くして亡くなった捕虜たちの無念さを訴える声が聞こえてくるような気がしました。
墓地を出たあと、落ち込んでいた私を見て、ツアーで仲良くなったオーストラリア人の女性が、
「なにもあなたが罪の意識を感じることはないわ。戦争には残虐行為はつきものよ。アメリカ兵もベトナムで酷いことをやったし、あたし達、オーストラリア人の先祖もアボリジニを虐殺したのよ」
と慰めてくれました。
ほかのツアーの客たちもみんな私に気を遣ってくれて、それが逆に辛かったです。
ただし、日本軍の名誉のために付け加えておくと、日本軍はまだ戦争が終わっていない昭和19年2月に、鉄道建設期間中に死亡した日本兵と各国の労務者、連合軍捕虜のために高さ5メートルもある大理石の立派な慰霊碑をカンテャナブリに建てています。
ただ、この慰霊碑、カンチャナブリで買った英文のパンフレットには、日本兵の慰霊碑としてしか紹介されてないし、私が最初に行ったときのような白人観光客主体のツアーは、この慰霊碑には立ち寄らないんですよね。
by jack4africa
| 2007-03-19 18:41
| 国際関係

