2007年 08月 10日
ロシアの同性愛事情: 飲酒文化と男同士の裸の付き合い |
最近、あることからロシアの同性愛事情について関心を持つようになって、ネットで調べたところ、english gay.ru というサイトをみつけました。
このサイトのLife in Russiaというメニュー項目のHistoryという小項目に、ロシアにおける男性同性愛の歴史が簡単に記述されています。
それによると、中世から19世紀にかけてのロシアでは、男同士のセックスは、大半のロシア人男性によって、男同士の付き合いの一種として許容されていたそうです。
現在の欧米社会にみられるような「同性愛者としてのアイデンティティー」や「ゲイカルチャー」のようなものは存在しなかったものの、「少年や男と罪を犯した話」は、しばしば男同士の猥談のネタになり、酒の席で自慢話として語られることもあったといいます。
酔っ払いに対して寛大な「飲酒文化」を持つロシアでは、その程度の「罪」は、酒の上の事として、大目に見られることが多かったのだそうです。
16世紀から17世紀にかけて、モスクワ大公国を訪問した西ヨーロッパの旅行者たちは、ロシアの男性の間で同性愛が非常に盛んであることを見聞して驚きます。
ある旅行者は、ロシアの既婚男性は、階級に関係なく、酔っ払うと自分の妻よりも、仲間の男性とセックスしたがると語っています。
ついでにいうと、この時代のロシアの男性は、男だけでなく、馬ともセックスすることを好んだそうです!
ロシアはキリスト教文化圏の辺境に位置し、ロシア正教が信仰されていましたが、ロシア正教は、カトリックと較べて、同性愛にたいして寛容であったといわれています。
西ヨーロッパで「男色」を意味する「ソドミー」という言葉は、ロシア正教では、男、女、動物との「不自然なセックス」を意味する曖昧な言葉で、刑罰も強姦や密通と比較して軽かったそうです。
また初期のロシア正教には、愛し合う未婚の同性の友人同士が、教会の神父の前で「義兄弟」あるいは「義姉妹」の契りを結び、神父に祝福されるという儀式があったことで知られています。
同性カップルの義兄弟や義姉妹の契りを教会の神父が祝福する習慣は、ギリシャ正教が信仰されるバルカン諸国にも存在したそうですが、このような義兄弟や義姉妹の関係に性的な事柄が付随していたかどうかは、学者によって意見が異なるそうです。
歴史上の人物としては、モンゴル勢力を追い払ってロシアの版図を大きく拡げたイワン雷帝(1530-1584)や、モスクワからサンクトペテルブルグに遷都して、ロシアの西欧化、近代化に努めたピョートル大帝(1671-1725)も女色と男色を共に好む両刀使いだったといわれています。
ロシアの同性愛を語る際に欠くことができない施設として、バーニャと呼ばれる公衆浴場があります。
バーニャとはロシア式サウナのことで、日本で知られているサウナと較べて低温で、長時間入っていられるそうですが、17世紀頃から、モスクワなど大都市に商業施設としてのバーニャが出現し、アラブ・イスラム世界のハンマームやメキシコのバーニョと同様、ホモのハッテン場としても機能するようになったそうです。
バーニャには、マッサージボーイとして働く若い男性がいて、客に対して性的サービスを提供したといいます。
現在のロシアでも、バーニャにはマッサージ師の男性がいて、チップ次第で、その種の「サービス」を提供してくれるそうです。
共産革命後は、同性愛は法律で禁止されるようになりますが、それでも都市の公園や公衆トイレ、バーニャは、ハッテン場として機能し続けたといいます。
ソ連時代は、都市の住宅環境が極端に悪く、プライバシーを保つスペースが住宅の中に存在しなかったため、ホモだけでなく、ノンケのカップルも野外でセックスを楽しんだそうです。
バーニャには、家族風呂のような個室もあって、男女のカップルや男同士のカップルが利用したといいます。
1991年のソ連の崩壊に伴って、ロシア共和国が誕生し、旧共産党時代に制定された同性愛を禁止する法律は1993年に撤廃されます。
モスクワやサンクトペテルブルグのような大都市には、ゲイバーやゲイサウナが出現し、欧米流のゲイリブも生まれてきているそうですが、このままロシアで欧米流のゲイリブの運動が順調に発展するかどうかは、疑問です。
ロシアの歴史は、西欧の模倣とその反動の繰り返しで、新生ロシアは民主化された筈だったのに、気がついてみたら、独裁的なプーチン政権になっていて、プーチン大統領の強権的な政治手法が「強いロシアの再来」として、一般国民から歓迎されているそうですから。
ロシア固有のバイセクシュアルの伝統も健在で、現在でもロシア男には、男女両方ともOKな男性が多いそうです。
北方四島関連の収賄事件に連座して鈴木宗男と一緒に逮捕された、元在モスクワ日本大使館勤務の外交官がある雑誌に書いていたことですが、エリティンを含む、ロシア政府の要人たちは、
仲間と一緒にバーニャに入って飲み食いし、興に乗ると男同士でキスしたり、互いのモノを握り合ったりして親交を深めるそうで、重要な政治的決定がバーニャで取られることも多いそうです。
彼らは自分たちのことをホモだなんて思っていないそうですが、当然のことながら、ホモセックスにたいする抵抗感はあまりなく、ロシアに詳しい友人によると、ロシアのノンケ男を口説き落とすのは非常に簡単で、またノンケといえども、男相手のセックスは非常に情熱的で濃厚だそうです。
彼らに過去に男とセックスした経験があるか尋ねると、大抵、軍隊にいたときヤッたことがあると答えるそうです。
ロシアの若者には、2年間の兵役義務が課せられるそうですが、兵役期間中は、ほとんどすべての兵士は、同僚の兵士と性的な関係を持つといいます。
この男同士の関係は軍隊生活の一部になっているそうですが、それについて語ることはタブーになっているそうです。
この「だれもがヤッていることだけど、それについて語るのはタブー」というのは、アラブ・イスラム圏の男同士の関係によく似ています。
そういえば、昔、ソ連時代に訪れたモスクワは、ヨーロッパの都市というよりは、インドのニューデリーやイランのテヘランに似通った雰囲気の中央アジアの都市という印象を受けました。
国営百貨店のグムの内部なんて、中東のバザールそのものでしたね。
参照ウェブサイト:http://english.gay.ru/life/history
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by jack4africa
| 2007-08-10 00:19