2007年 10月 12日
比留間久夫 「YES・YES・YES」 (2) |
実際に売り専バーに通うようになって、ノンケの売り専ボーイと接してみて驚いたのは、彼らが実にアッケラカンとしてその仕事に励んでいたことです。
90年代初め頃から、援助交際という名の売春を平気で行なう女子中学生や女子高校生が出てきて世間を驚かすようになりますが、男の子の場合、女の子に輪をかけて自分の身体を売ることに罪の意識がないようで、その明るさ、屈託のなさは印象的でした。
彼らはノンケであるにも関わらず、男とセックスすることに対してまったく抵抗がないように見えました。
よくオフしたボーイに「男とセックスするのは嫌じゃない?」と訊いたのですが、みんな異口同音に「最初の一週間ほどは嫌だったけれど、それを過ぎたら、全然、気にならなくなった」と答えます。
実際、ベッドでも、金のために仕方なくやっているという感じはあまり受けず、むしろ、客とのセックスを楽しんでいるのではないかと思うことさえありました。
気持ちイイー!!!
なんて絶叫したりして・・・(笑)
私が彼らによくしたもうひとつの質問は、「もし将来、君が結婚して息子が生まれ、その息子がちょうど現在の君くらいの年頃になって売り専ボーイとして働いていることが分かったらどうする?」というものでした。
驚いたことに、その質問にたいして半数以上の男の子が「勝手にやらせる。自分の意思で売り専ボーイになったのなら、それは本人の自由だから」と答えたのです。
もちろん、中には「それはやっぱりマズイでしょう」というボーイもいましたが、それでも半数以上のボーイが自分の息子が売り専ボーイになってもかまわないと答えたことは、彼らが売り専ボーイという仕事をちっとも恥ずかしい仕事だとは考えていなかったことをよく物語っています。
元々、日本人は伝統的に、男女を問わず、売買春に対しては罪の意識はないんじゃないでしょうか。
この小説、「YES・YES・YES」の主人公や仲間の男の子たちも売り専ボーイをやっていることについて、罪悪感はまったく感じていません。
ただ、私の知っていた売り専ボーイと違うところは、彼らは特に金を稼いでなにかするという目標がなく、けっこう長い間、売り専ボーイの仕事をだらだらと続けていることです。
長い間といってもせいぜい一年くらいですが、それだけ続けていると自然とバックの快感にも目覚めてきます。
だからといって、その快感が癖になって売り専ボーイを辞められないというわけでもなさそうです。
けっこうわりの良いバイトなので、なかなか辞める気にならず、惰性で続けているのだと思いますが、その心の奥底には、オトナになりたくないという気持ちが潜んでいるような気がします。
ちゃんとした会社に就職して正社員になるという、世間でいうマトモなオトナの生き方にあまり魅力を感じられなくて、漫然とモラトリアムの期間を引き延ばしているように見えるのです。
このへんの心境は、現在、フリーターをやっている若者たちとそう変わらないように思えます。
ただ、売り専ボーイの場合、選んだバイトがちょっと特殊なだけで、その仕事もいったん慣れてしまうと、本質的には、ほかのバイトとそれほど変わりない、ただの実入りの良いバイトという感じになってしまうみたいです。
小説は、二丁目の夜を彷徨する、そんな二十歳前後の男の子たちのふわふわした日々を淡々と描いているのですが、少年から青年に移行する年頃の男の子に共通する危うさ、脆さ、傷つきやすさ、漠然とした不安などがよく表現されていて、
読んでいるうちに、小説に出てくる売り専バーの常連客である女装のゲイバーのママのように、彼らが限りなく愛おしく思えてきて、抱きしめたくなってきます。
もちろん、ボーイの方は客に対して愛情なんか感じていません。
それでも、ホテルの個室で客と二人だけになって、裸で抱き合うとき、そこには愛に似たものが芽生えます。
ときには、客とボーイの立場を離れて、同じ一人の人間として、心が通い合うこともあります。
私の知っていた売り専ボーイたちは、目標の金が貯まって辞めるときに、「売り専ボーイをやったお陰で、いろんなお客さんと知り合うことができて、良い勉強になった」と述懐していましたが、その言葉に嘘はなかったと思いますね。
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by jack4africa
| 2007-10-12 00:34