2007年 11月 02日
トランスアメリカ |
表題の映画は、男性から女性に性転換した元男性が、若い頃の過ちによってできた息子とアメリカ大陸を横断するロード・ムービーで、タイトルのトランスにはアメリカ横断のトランスとトランスセクシュアル(性転換)のトランスの両方がかけてあります。
完全な女性になるためにペニスを切断して、膣を造る「性別適合手術」を間近に控えたブリーのところに突然、彼の息子を名乗る少年から電話がかかってきます。
ブリーは学生時代に一度だけ女性と性交渉を持ったことがあって、その女性は彼に黙って彼の子供を産んでいたのです。
性別適合手術を受けるためには、専門医と心理カウンセラーの同意が必要なのですが、カウンセラーの女性に息子から電話がかかってきたことを話すと、息子の問題を解決しない限り、手術同意書にサインできないといわれます。
それで仕方なく、ブリーは息子に会うためにNYに向かいます。息子は盗みの罪で逮捕され、NYの留置所に入れられていて、それで父親のブリーに助けを求めて電話をかけてきたのです。
ブリーはNYの留置所で息子と対面しますが、女の格好をしている自分が彼の父親であることを告白する勇気はなく、非行少年を更生させる教会から派遣されてきたボランティアだと自己紹介します。
息子の母親は死んだと聞いたブリーは、とりあえず、息子をケンタッキーに住む継父のもとに送り届けようとするのですが、少年は嫌がります。
それをなだめすかして息子を継父の住む田舎まで連れて行くのですが、実際に息子の継父に会ってみると、息子が幼い頃から息子に対して性的虐待を繰り返してきたとんでもない男であることがわかります。
息子の母親はそれを苦にして自殺していたのです。
息子をそんなところに置いていくわけにはいかず、ブリーはカリフォルニアに行きたいという息子を連れて一緒にLAまで帰ることにします。
しかし、旅の途中で車の外に出て立小便をしているところを息子に目撃され、本当は男であることがバレてしまいます。
さらに、途中で拾ったヒッチハイカーのヒッピーに車ごと全財産を持ち逃げされ、二人は一文無しに。困っているところを、親切なアメリカ先住民の男性に救われ、ブリーの実家まで車で送ってもらいます。
ブリーの両親は久しぶりに帰ってきた息子が女の格好をしているのでびっくり仰天。さらに一緒に連れている少年が息子の息子、つまり自分たちの孫であることがわかってまたまた驚きます。
ブリーは両親に自分が父親であることを息子には話さないように口止めしますが、その晩、ブリーが女になったことを非難するブリーの母親とブリーが口論を始め、それを聞いていた息子が、なぜかブリーに同情し、夜、ブリーの寝室に忍び込んできて「君が好きだ。セックスしよう!」と迫ります。
実の息子に口説かれて絶対絶命の窮地に陥ったブリーは、ついに息子に自分が彼の父親であることを告白してしまうのです。
こんな風に書いてくると、ドタバタ喜劇にみたいに聞こえるかもしれませんが、実際は、なかなか感動的な家族愛のドラマに仕上がっています。
興味深いのは、息子に性転換者であることを見破られたブリーが、弁明のために、アメリカの先住民には、自分のような人間をTwo-Spirit(二つの魂を持つ者)と呼び、尊敬してきた伝統があると語ることです。
アメリカのゲイリブが使うLGBTという言葉には一応、性転換者(Transsexual)の頭文字であるTが最後に付いてますが、男っぽい男をゲイの理想像にするアメリカのゲイリブ理論は、男性から女性に性転換した人間にはあてはまりません。
それで、男性から女性に性転換したブリーは、アメリカ先住民の話を持ち出すことで、みずからの存在を正当化してるんじゃないかという気がしました。
あと、息子が自分の本当の父親はアメリカ・インディアンではないかと夢想していたり、旅の途中で出会うアメリカ先住民の男性が、少年に欠けている父親像を具現化した人物として描かれていたり、なぜかこの映画では、アメリカ先住民が好意的に描かれています。
実際、アメリカには、アメリカ・インディアンの血が流れていることを自慢する白人がけっこういるそうです。黒人の血が混じっていることを自慢する白人はいないそうですが・・・
もうひとつ、この映画を観てわかったことは、アメリカでは子供がいても、男性から女性への性転換手術を受ければ、女性を名乗ることができるらしいということです。
日本でも数年前にGID特例法という法律が制定されて、性転換手術を受けた人間が戸籍の性別も手術後の性に合わせて変更できるようになったそうですが、その条件として「子供がいないこと」が挙げられているそうです。
現在、この「子なし条項」の撤廃に向けて、一部の性転換者が運動しているそうですが、これに関して一般の理解を得るのはムツカシイと思いますね。
この映画では、自分の父親が性転換者であることを知ってショックを受け、父親から離れていった息子がしばらくして父親の家を訪ねてきて一応、仲直りするのですが、実際問題として、子供に親の性転換を理解させるのはそう簡単なことではないでしょう。
そもそも自分のアレをチョン切ってまで女になりたがるような人間が、フツーに女性と結婚して子供を作ったりするだろうか?という素朴な疑問も湧いてきますし・・・
父親としての責任も義務もほったらかしにして、女になる権利だけを声高に主張するのは、男であるか、女であるかに関係なく、一人の人間としてどうかと思いますね。
by jack4africa
| 2007-11-02 00:52
| 世界の映画&音楽