2007年 11月 13日
作者不詳「とりかへばや物語」 (1) |
『とりかへばや物語』は、平安時代末期の1180年頃に成立したと推定される作者不詳の物語です。
物語のあらすじは次のとおりです。
昔、あるところに権大納言で大将を兼ねる貴族がいました。
大将には、別々の妻から生まれた齢の近い兄君である若君と妹君である姫君の二人の子供がいたのですが、兄君の方は男の子であるにもかかわらず、非常に女性的でおとなしく、几帳の中に引きこもって絵描き、雛遊び、貝覆といった女の子の遊びばかりするような子供でした。
反対に、妹君の方は、とても活発な子供で、若い男やほかの男の子に混じって、鞠や小弓など男の子のするような遊びばかりしているので、父親の大将はこれが反対であればよいのにと日頃から嘆いていました。
その後も二人の様子は変わらず、結局、父親の大将は、兄君を姫君として、妹君を若君として育てることにします。
やがて若君(妹君)の学識や容貌の優れていることが世間の噂になり、それを耳にした帝や東宮(皇太子)は、若君を、ほかの貴族の子弟と同様に宮廷に出仕させるように大将に命じます。
それで仕方なく、大将は若君(妹君)を元服させ、妹君は男の姿で侍従として朝廷に仕えることになります。
さらに若君(妹君)の元服に立ち会った大将の兄の右大臣が、若君の美しい容姿を気に入って、自分の四番目の娘である四の君の婿にしたいと大将に申し出ます。
大将は、若君が女であることを右大臣に話していなかったので、どう返事をすべきか悩むのですが、若君(妹君)の母親である奥方に相談すると、「四の君はまだ子供だから、男女の営みがなくても気にしないでしょう」というので、思い切って二人を結婚させることにします。
一方、姫君として育てられた兄君の方も女官として宮廷に仕えることになります。
新しく帝になられた東宮には皇子がなく、先帝の皇女である一の宮が、女でありながら東宮(皇太子)に立たれることになり、姫君(兄君)はこの女東宮に仕える女官、尚侍(ないしのかみ)になるのです。
侍従となった若君(妹君)の方は、その後、順調に右大将にまで出世します。
ここに右大将の友人として、宰相の中将という若い貴族が登場します。
彼は、あるとき、右大将の妻の四の君の姿を垣間見て、その美しさにボーッとなって、彼女に恋こがれるようになり、右大将が宮中で宿直する夜を見計らって、四の君のところに忍んで行き、無理やり彼女と関係をもってしまいます。
その結果、四の君は、宰相の中将の子供を身ごもり、姫君を産み落とします。
四の君の父親である右大臣は、娘に子供が生まれても、婿の右大将がいっこうに嬉しそうな顔をしないので不思議がります。
右大将は、四の君の不倫相手が宰相の中将であることに気がつきますが、女である自分の身を思うと、嫉妬する気にもなれず、複雑な心境でいます。
浮気者で好色な宰相の中将は、右大将の妻である四の君と密通する一方で、右大将の姉(実は兄)で女東宮に仕えている尚侍にもちょっかいを出しますが、肘鉄をくってしまいます。
虫が良くて図々しい宰相の中将は、尚侍にフラれた愚痴をいうために、現在は左大臣になっている父親の屋敷でくつろいでいる右大将のもとを訪れます。
夏のことで、右大将は上着を脱いだ下着姿だったのですが、右大将を男だと思い込んでいる宰相の中将は、平気でづかづかと部屋に入ってきます。
そして尚侍にフラれたことを右大将に訴えるのですが、右大将の女のような白い肌をみているうちにムラムラときて、相手が男であることを忘れて(本当は女ですが)、右大将に抱きついてしまいます。
右大将はもちろん抵抗するのですが、やはり女なので、男の力には敵わず、裸に剥かれ、女であることを見破られて、犯されてしまうのです。
その結果、右大将は宰相の中将の子供を身ごもってしまいます。
夫婦揃って同じ男の子供を身ごもってしまうのです!
一方、尚侍として女東宮に仕える姫君(実は兄君)は、美しい女東宮と日夜、生活を共にするうちに、男としての本能が目覚め、女東宮と関係をもつようになり、彼女を妊娠させてしまいます。
というようなストーリーなのですが、読む前は、少女コミックとかにあるような男と女が入れ替わることによって引き起こされる悲喜劇を描いた物語ではないかと想像していたのですが、実際に読んでみると、想像していたよりずっと真面目な物語であるという印象を受けました。
真面目というのは、この物語には、現代のウーマンリブとかフェミニストの主張に通じる、女性による男社会に対する批判が込められているような気がするからです。
この物語の作者は不詳だそうですが、私のみるところ、間違いなく女性、それも男の浮気に苦労させられた経験のある女性だと思います。
平安時代の貴族の女性たちは、男と較べて社会的地位が低く、大きな制約の下に生きていました。
例えば、貴族の姫君たちは、現在の戒律の厳しいイスラム国家のように、親兄弟など身内以外の男と対面するときは、必ず、御簾や几帳を隔てて会って、外部の男に素顔を晒すことはできませんでした。
また当時の貴族社会は、現在のイスラム社会と同様、一夫多妻が普通で、夫と複数の妻たちは別々の家に住み、夫が順次、妻たちの家に通う妻問い婚が主流でした。
その結果、外出もままならない女たちは、家の中でじっと男が来るのを待つしかなかったのです。
それでも男が通ってくるうちは、まだマシですが、男が女に対する関心を失うと、二人の間に子供でもない限り、そのまま男との関係が終わってしまうのです。
作者不詳「とりかへばや物語」 (2)へ
「読書日記」の目次に戻る
by jack4africa
| 2007-11-13 00:06