2008年 01月 11日
稲垣足穂 「少年愛の美学」 |
本書は、少年愛に関する古今東西の膨大なエピソードが網羅されていると同時に、著者特有のユニークなA感覚とV感覚に関する理論が展開されている本当に面白くてためになる本で、私にとってはバイブルというか、座右の書になっています。
稲垣足穂のいうA感覚のAはいうまでもなくアヌス(肛門)を表し、V感覚のVはヴァギナ(女陰)、P感覚のPはペニス(男根)を表しますが、足穂はA感覚こそがすべての性感の源であって、V感覚やP感覚はその補助的な存在でしかないと主張しています。
「V」とは水増ししたAであって、女性とは「万人向きの少年」を云い、V感覚とは「実用化されたA感覚」に他ならない。
つまり、女性のヴァギナは少年のアヌスの代用品でしかなく、本物の少年のアヌスには到底、及ばないというのですが、稲垣足穂がこれを書いたのは1954年のことで、
アメリカのゲイたちがゲイリブの運動を始める15年も前に、同性愛(A感覚)は異性愛(V感覚)に優越するという自分の主張を堂々と発表しているんだから大したもんです。
まぁ、日本では江戸時代からすでに女色と男色の優劣論争があったわけで、男色=同性愛に関しては、世界に誇る超先進国なわけですが。
稲垣足穂は1900年、大阪船場に医者の息子として生をうけます。その後、神戸に移住、関西学院に入学しますが、二級上には作家の今東光がいたそうです。
関西学院卒業後は、飛行家を目指すものの挫折、その後、小説を書き始め、小説家の佐藤春夫に師事しますが、佐藤春夫が菊池寛の作品を褒めたことで佐藤を批判、彼のもとを飛び出します。
この一件で、文壇から事実上、干された形になります。
その後、郷里の大阪に戻って父親が経営していた衣料品の会社を継ぐものの経営に失敗。その後、各地を転々としながら極貧生活を続けます。
1950年、50歳になってやっと結婚。京都に落ち着き、同人誌に精力的に作品を発表するようになります。
佐藤春夫の死後、1967年に三島由紀夫の後押しを得て、「少年愛の美学」で第1回日本文学大賞を受賞、一躍、「タルホ」ブームを巻き起こします。
この経歴からもわかるように、大変、非妥協的な性格の持ち主で、それが災いして長い間、不遇な生活を送るのですが、70歳を過ぎてブレークしてからは、毒舌家としてマスコミからもて囃されるようになります。
私が覚えているのは、山口百恵が人気絶頂のとき、彼女をどう思うかと訊かれて、「八百屋の店先に並んでいる大根の見分けがつかないように、私には若い女の歌手の区別なんかつきません」と答えたのが面白かったです。
彼のカムバックを助けてくれた恩人のはずの三島由紀夫についても容赦がなく、「三島由紀夫の顔は獄門台のなま首みたいな目を剥いた気持ちの悪い顔だ」などと悪口をいっています。
関西学院で二年、先輩だった小説家の今東光については「今東光の作品になにがあるか。ニワトリの喧嘩の話ひとつだけだ」などとボロクソです。
「芥川龍之介、夏目漱石、森鴎外、佐藤春夫なんて本物の文学者じゃない」とまでいうんだからかないません。
それにしても、同じホモセクシュアルの傾向のある作家でも、自分の性癖を隠し続けた三島由紀夫と、座談会などで「オカマやるのは大好きです!」と広言してはばからなかった足穂は対照的です。
この違いはもちろん二人の性格の違いから来るものでしょうが、それだけではなく、二人が生まれた時代の影響もあると思います。
稲垣足穂が生まれたのは1900年(明治33年)で、三島由紀夫が生まれたのは1925年(大正14年)。この25年の差は大きいと思いますね。
足穂が思春期から青年時代を過ごした大正時代はまだ男色を悪とみなす西洋の価値観が完全に日本人に浸透しておらず、学生の間には明治から引き継がれた男色の伝統が残っていました。
関西学院時代には、足穂にも今東光にも下級生のお稚児さんがいたそうですが、当時はそれが普通で、逆に女性と付き合う学生は軟派と呼ばれて軽蔑されたといいます。
足穂自身、少年時代には母や姉以外の女性と口をきくことは殆どなかったと回想しています。
一方、三島由紀夫が思春期から青年期を過ごした昭和の時代は、ようやく日本人の間に同性愛を恥ずかしいことだみなす風潮が浸透してきた時代で、
そのような時代の風潮にどっぷりと染まっていた三島由紀夫は、死ぬまで自分が同性愛者であることを隠し続けなければならなかったのです(周囲にはバレバレでしたが)。
足穂は、三島が1970年に割腹自殺したあとも1977年まで生き続けますが、毎日、ウィスキーを1本、空ける酒豪で、大男で容貌魁偉な彼がフンドシひとつで近所を散歩する姿は目立ったそうです。
「少年愛の美学」に戻りますと、最初から最後までお尻の話ばかり、ときには話はスカトロにまで及ぶのですが、ちっとも下品なところがなく、少年愛の賛美とヒコーキ乗りに憧れ、天文学や機械いじりに熱中した自身の少年時代への郷愁に満ちた詩的な作品になっています。
「少年愛の美学」で、足穂はこんなことをいっています。
ためしに次のような単語の「コウ」を「肛」におきかえてみよ!
高野山、弘法大師、幸若舞、香気、講道館、攻玉舎、侯爵、校長、高士、高級、恒例、工員、公務員、公開実験、交通機関、行動派、硬派、高弟、膏薬、黄禍、後患、公徳、公選、鴻恩、行人、行楽、交歓、幸福、厚志、交情、好意、後見…..いずれも間違いなく成立する。
で、おきかえてみました(笑)
肛野山、肛法大師、肛若舞、肛気、肛道館、肛玉舎、肛爵、肛長、肛士、肛級、肛例、肛員、肛務員、肛開実験、肛通機関、肛動派、肛派、肛弟、肛薬、肛禍、肛患、肛徳、肛選、肛恩、肛人、肛楽、肛歓、肛福、肛志、肛情、肛意、肛見
私としては、肛開実験、肛楽、肛歓、肛情などという言葉にけっこう、そそられます(笑)
「読書ノート」
by jack4africa
| 2008-01-11 00:18