2008年 02月 19日
伊達政宗の手紙 |
佐藤憲一著「伊達政宗の手紙」(新潮選書)を読みました。
独眼竜の異名をとった戦国武将で、仙台藩主だった伊達政宗は、小説などでは豪放磊落な人物として描かれることが多いのですが、実は大変、筆まめな人だったそうで、現存する自筆の手紙だけでも1000通以上にのぼるそうです。
佐藤氏はこの本で印象的な正宗の自筆の手紙を取り上げて、従来のイメージとは異なる、正宗の人間的な側面を紹介しています。
特に面白いのは、正宗が小姓の只野作十郎に宛てて出した手紙です。
作十郎は、正宗の寵愛を受けていた小姓ですが、ほかの男と浮気をしていると正宗に告げ口をする人間がいて、怒った正宗は酒の席で作十郎を厳しく非難してしまいます。
あらぬ疑いをかけられた作十郎は、身の潔白を証明するために、刀でみずからの腕を突いて、流れ出た血で血判を押した起請文(誓文)を書いて、正宗に送りつけます。
当時、衆道の関係を結んだ武士の間では、愛の証しに自分の腕や股を刀で突いて傷つけることが流行っていたのです。
作十郎の起請文を受け取って驚いた正宗は、慌てて作十郎に謝罪の手紙を書くのですが、その手紙が現在まで残っているのです。
原文は、けっこう長いので、私が訳した文章だけを載せます。関西弁になっているのは、私の母国語が関西弁だからで、特に意味はありません。
思いもかけん、ご丁寧な手紙を頂きまして、おまけに起請文までもろうて、うれしいというかなんというか、お礼の言葉もありまへん。
この前の晩のことやけど、酒の上のことで、なんかきついこというてしもたみたいで、本当に悪うおました。
別にお前を疑ってたわけやない。もしほんまに疑っとったら、伝蔵か目付役にいうてさっさとお前をクビにしてたわ。そんな気持ちは毛頭、ないよって、なんにもいうてへん。酔っ払っていうたことは、全然、覚えてへんのや。
以前、お前が仕事を休んでたとき、あいつがお前に惚れてると、乞食坊主が告げ口しよったんや。
その坊主は、その後、どっかいてもうて、今更、問いただすわけにはいかんし、そんなことお前に限ってない、と自分に言い聞かせたんやけど、お前のことよう知っとったし、それでちょっと注意するつもりが、酒の勢いも手伝うて、ついついきつい言い方になってしもたんや。
ほんまは、お前との仲をこれまで以上にしっかりした関係にしたいというのがわしの本心やったんや。
それにしても、酒の上とはいいながら、よっぽど、わしの言葉に傷ついたんやろな。そやないと、こないな手紙は寄こさんやろ。
刀で自分の腕、切って、血判を押したんやて? ほんま胸が痛むなぁ。
わしがその場にいたら、お前の刀にすがりついてでも、止めてたわ。
わしもお返しに指を切るなり、股か腕を突いて傷でもつけて、誠意を見せたいとこやけど、孫のいる年でそんなことしたら、「ええ年してなにしとるんや」と人に嗤われるやろし、行水のときに傷跡を小姓連中に見られるのも恥ずかしいし、その気持ちを抑えてるんや。
お前も知ってるとおり、若いときは、酒の肴にでもするみたいに簡単に腕を裂いたり、股を突いたりして、衆道の証しを立てたもんやけど、年甲斐ものうそんなことしたら、子供に恥をかかすことになりかねんし、それで我慢してるんや。
日本中の神さんに誓うけど、腕や股を突くのが嫌やから、それでやらんいうのと違うで。
お前も見て知ってるように、わしの腕や股は傷だらけで、隙間もないくらいや。若いときは、簡単にそういうことをやったもんやけど、最近は時代も変わってるし、そんなことしたら、かえって世間のもの笑いになりかねん。
そうはいうても、このままではお前に申し訳けが立たんさかい、伝蔵が見てる前で起請文、書いて、血判、押して送るわ。
どうか、これで堪忍してくれや。今日からは、これまで以上に安心して、わしと仲ようしてくれたら、こんな嬉しいことはないよって。
詳しいことは伝蔵から聞いてくれ。恐々謹言。
自分のやったことが恥ずかしゅうてホンマに後悔してるわ。
わしの本当の気持ち、わかってくれるやろな!
正月九日 政宗(花押)
この手紙は正宗が51、2歳のときのものだそうですが、一読して驚かされるのは、主君である正宗が一介の小姓である作十郎に随分と下手に出ていることです。
この時代の衆道については、私もよく知らないのですが、正宗のこの手紙を読む限り、正宗と作十郎の関係は、主従関係というよりも、対等の恋人同士の関係であるかのようにみえます。
実際には、二人の力関係においては主君である正宗が圧倒していたでしょうが、それでもこれだけ正宗が作十郎のご機嫌をとっているところをみると、小姓は決して強制されて主君の衆道相手になったわけではなく、小姓の側にも拒否権があったことが窺えます。
またこの時代、小姓を含め家臣は、主君の命令を拒否したり、それに抗議する最終的な手段として切腹する習慣がありました。
作十郎が自分の腕を刀で切って、血染めの手紙を出したということは、身の潔白を証明するために、いざというときは、切腹する覚悟が出来ていることを示したものでしょう。
それで正宗は慌てふためいて、こんな詫び状を出したのだと思いますが、これで作十郎の機嫌は直ったでしょうか?
もちろん、直ったはずです。こんな心のこもった、懇切丁寧な手紙を主君がくれたんですから。
もしかしたら、これが正宗流の人心把握術だったのかもしれません。
念のために付け加えておきますが、正宗は男色だけに耽っていたわけではなく、正室のほかに側室も7人ほどいて(内、一人は作十郎の実の姉!)、子供を十四、五人作って、子孫を残すという、この時代の大名の義務もちゃんと果たしています。
「昔の日本人」
by jack4africa
| 2008-02-19 00:09