2008年 03月 18日
井原西鶴「男色大鑑」(2) |
「男色大鑑」の後半、四巻二十章は、歌舞伎若衆の衆道(男色)のエピソードを集めています。
当時、若くて美しい歌舞伎役者は、昼間は舞台を勤め、夜は茶屋で客の求めに応じて男色の相手をする習慣でした。
そのうち、陰間と呼ばれる売り専門の少年が現れて、男色好きの客の相手をするようになりますが、舞台に出る役者は、彼らと区別して舞台子と呼ばれました。
さらに、飛び子と呼ばれる、各地をまわって色を売る陰間もでてきます。
花代は当然のことながら、実際に舞台を勤める舞台子が一番、高かったそうです。
西鶴によると、舞台子の花代は金一歩(銀15匁)だったのが、妙心寺開山国師三百五十回忌に諸国から富裕な僧侶が集ってきて役者買いをした結果、銀一枚(約43匁)に値上がりしてしまったそうです。
当時の貨幣価値を現在の貨幣価値に換算すると、銀一匁が約2000円に相当するそうで、金一歩(銀十五匁)は3万円に相当します。
現在でも、新宿二丁目の売り専ボーイの相場は泊まりで3万円くらいですから、そんなもんかなという感じです。
これが坊主連中のお蔭で一挙に43匁≒8万6千円まで値上がりしてしまったのですから、西鶴が怒るのも無理ないという気がします。
さらに当時、人気絶頂の美貌の歌舞伎役者、伊藤小太夫にいたっては、一晩の揚げ代が銀3枚(129匁)、現在の価値に直して25万8千円もしたそうで、この役者の魅力に溺れて家財を蕩尽し、破滅する男が続出したことから「墓場」と呼ばれたそうです。
ほかにも「人殺し」と呼ばれた人気役者がいたそうです。
別に殺人を犯したわけではなく、彼に恋して焦がれ死にする男女のファンが多かったためにそういうあだ名が付いたのだそうです。
歌舞伎若衆を相手にした衆道では、武士の衆道のように切った張ったの刃傷沙汰は少ないのですが、それでも芝居の客が、好きな役者に対する心中立てに小指を切ったり、刀で腕に傷を付けたりすることはあったみたいです。
武士の衆道の意気地は、衆道に命を懸けることでしたが、男色を売る歌舞伎若衆にとっての意気地は「情けをかける」ことでした。
たとえ、老人や風采のあがらない野暮な男であっても、金のない貧しい男であっても、一途に自分を慕ってくる人間には、情けをかける、つまり、一夜を共にするというのが、当時の遊女を含むセックス・ワーカーたちの心意気だったのです。
これって男にとってけっこう都合の良いことのように思えますが、そのためには男の方も小指を切ったりして、心中立てする必要があったわけで、
そのような男たちの必死の願いに答えるのが、男たちをそこまで駆り立てるだけの美貌と魅力を兼ね備えた若衆や遊女の義務、一種の「ノブレス・オブリージュ」であるとみられていたようです。
「男色大鑑」は、井原西鶴の作品としてはマイナーな作品に属するそうですが、この作品は、西鶴のほかの作品に先立って英語とフランス語に翻訳されています。
これは欧米でそれだけ日本の江戸時代の男色文化に関心がもたれている証拠でしょう。
実際、西鶴がこの作品で男色を賛美し、本当か嘘か知らないけれど、27年かけて若衆の千人切りを達成し、若衆の紙人形を千体作って、千人供養したなどという話を書いているので、西鶴のことを男色家だと信じている欧米人も多いみたいです。
もちろん、西鶴は、当時の男の嗜みとして男色を楽しんでいたでしょうが、彼のほかの作品「好色一代男」や「好色一代女」などを読めば、西鶴が女色の方も男色と同等かそれ以上に楽しんでいたことはあきらかで、結婚もして子供も3人いたそうですから、彼を男色家扱いするのは間違っていると思いますね。
そもそも、当時の日本では、人間を男色家と女色家に分ける考え方自体、存在せず、男たちにとっては、男色と女色の両方を楽しむのが普通だったわけです。
例えば「好色一代男」の主人公の世の介は、生涯に3742人の女と725人の男と関係をもったそうですが、この数字を見てもわかるように、女とだけでなく男ともしっかり遊んでいるのです。
早熟なガキだった世の介は、9歳のときに隣家の女の行水を覗き見しますが、10歳のときには、外出中に雨が降ってきて困っているときに傘をさしかけてくれた男に自分の念者(衆道の兄分)になってくれるように頼んでいます。
女色がテーマになっている「好色五人女」でも、「お七吉三郎」では、吉三郎には、お七と知り合う前から衆道の兄分がいたことになっていますし、吉三郎がお七に会うために、百姓の少年に身をやつして、お七の実家の八百屋を訪ねたときに、八百屋の下男にくどかれて、無理やり口を吸われそうになるエピソードが出てきます。
「おまん源五兵衛」の源五兵衛にいたっては、筋金入りの男色好きで、源五兵衛に惚れたおまんは、男装の若衆姿に身をやつして源五兵衛に近づくのです。
これら西鶴の作品を読めば、江戸時代には、男色が女色と並ぶ性愛の一形態として認められていて、完全に市民権を得ていたことがよくわかります。
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by jack4africa
| 2008-03-18 08:05