2008年 05月 02日
アラブ人は快楽の達人 |
エジプトを含めたアラブの国に5年間住んでつくづくと思ったのは、アラブ人は快楽を味わう術をよく心得ているということです。
たとえば、イスラム教徒はイスラム暦の9月にあたるラマダン月に断食を行う習慣があります。ラマダン期間中の一ヶ月間は、日の出から日没まで飲食を絶ち、煙草を絶ち、セックスも絶つのです。
ラマダン以外のときは昼間もセックスしていることになりますが・・・
それほど信仰心の厚くないイスラム教徒でも、このラマダン期間中の断食だけはけっこうよく守るんですよね。
ラマダン期間中に断食を行うのはイスラム教徒の義務ということになっているので、それを守らないと周囲の人間から非難されるという理由もあると思いますが、ホンネのところはそれが快感につながっているせいではないかと私は睨んでいます。
人がものを食べて本当にウマイと感じるのはどんなときでしょう?
空腹のときです。
腹が減っているときはコンビニのおにぎりでもご馳走におもえます。また砂漠で喉が渇いている人間にはコップ一杯の水が甘露におもえるでしょう。
イスラム教徒はラマダンを行うことで人為的にこの飢餓状態を作り出しているのです。
実際、ラマダン期間中は、家庭では特別なご馳走を作って夜の間に何度も食事をするので太ってしまう人も多いのです。
空腹に耐えたあとでご馳走をたらふく食べることがどれほどの快感であるか、私たち非イスラム教徒にも想像できると思います。
セックスについても同様です。最高のセックスを味わう秘訣は禁欲です。
やりたい、やりたいと思いながらも、なかなかデキないという環境にいるからこそ、念願かなってやっとデキたときの快感は大きくなるのです。
セックスはタブーや障害があるほうが燃えあがるのです。
アラブ人はこのセックスに関するタブーや障害を人為的に作り出すことに長けているとおもいます。
たとえば女性がベールを被って顔を隠す習慣です。欧米人は、このイスラム女性のベール着用の習慣を、イスラム女性が社会的に抑圧されている象徴のように言います。
たしかにそれは一面の真実ですが、それだけではありません。女性の方でもベールを被ることを受容している面があるのです。
直ぐに思いつくのは年老いた女性や容貌に自信のない女性にとってはベールがあるのは便利ではないかということです。
しかし実際には若くて美しい女性でも、ベールを被っている女性はけっこういます。
彼女達がベールを愛用するのは、それがイスラム女性としての義務であるというタテマエとは別に、ベールを被った姿が男心をそそることをよく知っているからです。
男というものは隠せば隠すほど見たがる動物です。
アラブの女たちは顔や身体をベールや長衣で隠し、唯一ベールから覗いている目にはくっきりとアイラインを入れ、長衣からわずかに出ている手首にはブレスレット、足首にはアンクレットを嵌め、手の指にはマニキュア、足の指にはペディキュアを丹念に施して、チラリズムの魅力で男心を悩殺するのです。
以前、モロッコの港町タンジールの市場の人混みで、裾が足元まで届く長衣に頭巾を被って目だけ出した女にすれ違いざま「私と遊ばない?」と耳元で囁かれたときは、女嫌いの筈なのにゾクッときたものです。
これがパリのサンドニ辺りのタンクトップにホットパンツといういでたちの娼婦だったら、同じことをいわれてもうるさく感じるだけですが。
女性がベールを被って親族以外の男性に素顔を見せないという風習に加えて、イスラム社会には、一定の年齢になると男女が隔離され、自由な男女交際が許されないという制約が存在します。
私達日本人から見ると不自由極まりないように思えますが、その分、若い男のセックスへの飢餓感が強まり、障害を乗り越えて結ばれたときの快感が大きくなる仕組みになっています。
この未婚の男女の交際が不自由なことが、アラブ・イスラム圏において男同士のセックスの習慣が広まる一因になっているのですが、ホモセックスについても、それがイスラムの教えで禁止されているというタブーが存在し、それ故、ホモセックスを行うときの後ろめたさや罪悪感が快感を高めるという効果があります。
イスラム教やキリスト教など一神教の国々は「罪の文化圏」、日本のような多神教の国は「恥の文化圏」に属すると言われていますが、この「罪の意識」あるいは「恥の意識」はセックスのスパイスとしてとても重要です。
罪の文化圏の人間は「ああ神様、私はこんな罪深いことをしています!」と思うことで一層、快感が高まり、恥の文化圏の人間は「ああ、こんな恥ずかしい格好をさせられて・・・」と思うことで一層、興奮する仕組みになっているのです。
もしこのような罪の意識、恥の意識がなくなってしまうとどうなるでしょう?
セックスが薄い水割りみたいに味気ないものになってしまいます。
セックスなんてしょせんは一時の快楽、たんなる肉体の摩擦によって生じる快感にすぎません。いつでも簡単に手軽にデキるようになったら、人はセックスに飽きてしまうのです。
サウナやヤリ部屋で次から次へと相手を変えてセックスするのが習慣になっているような一部のホモは、私にいわせれば、セックスを十分に楽しめていない人間です。
本当に中味の濃いセックスをすれば一人の相手で十分に満足できるはずです。
満足できないから次から次へと相手を変えるのです。
それでもまだ満足できなくて、やれラッシュだのゴメオだのとドラッグに頼って快感を高めようとするのです。
セックスが解放されて自由になった代わりに、ドラッグなしには十分な快感が得られなくなっているのが現在の日本の状況だと思います。
昔、アラブ某国に住んでいたとき、その国の恋人がいました。
私が住んでいたのはとても小さい町で、彼との関係を周囲に知られるのは致命的でした。
そのため彼と会うときは人に見られないように細心の注意を払わなければなりませんでした。
私はエレベーターのない5階建ての建物の5階にあるアパートに住んでいたのですが、彼が私に会いにくる夜はいつもアパートのバルコニーに出て下の通りを見おろして、通りを挟んだ向かい側の建物の前に立っている彼と顔を見合わせながら通りから人がいなくなる瞬間を待ったものです。
通りに人が絶えた瞬間、「今だ!」と目で合図して、彼は猛然と私がいる建物の玄関めがけてダッシュし、玄関を入るとそのまま5階まで一気に階段を駆け上がってきて、私がドアを開けて待っている部屋に飛び込んでくるのです。
彼が部屋に入った瞬間、ぴしゃりとドアを閉めて抱き合うと、彼のハアハアいう荒い息が私の顔にかかり、汗ばんだシャツを通して彼の心臓のドクドクいう鼓動が私の身体に伝わってきて、それだけで最高に興奮したものです。
あんなスリリングなデート、日本では絶対に体験できません!
私は欧米流のゲイリブが、アラブ・イスラム圏で広範な支持を得ることは絶対にないと確信してしますが、それはイスラムの教えが同性愛を禁じているというタテマエのせいではなく、タブーがなくなって完全に自由になったら、セックスが味気ないものになってしまうことをアラブ人が知っていると思うからです。
by jack4africa
| 2008-05-02 11:39
| アラブ・イスラム世界

