2008年 05月 16日
GLBTってなに? |
最近、ネットで海外のゲイサイトを覗いていると、よくGLBTという言葉をみかけます。これは、ゲイ、レスビアン、バイセクシュアル、トランスセクシュアルの頭文字をとった略語なんだそうです。
以前はゲイとレスビアンの頭文字をとったGLという言葉がよく使われていました。
この言葉は異性愛者と区別して男女の同性愛者を指す言葉として使われていたと思うのですが、そのうち同性愛者でも異性愛者でもない、男も女も両方イケルという人間のためにバイセクシュアル(両性愛者)というカテゴリーが追加され、
さらに性転換者のためにトランスセクシュアルというカテゴリーが追加されて、全部ひっくるめて性的マイノリティー(少数派)としているみたいです。
しかし、こんな風に次から次へといろんなカテゴリーを追加していったら、しまいには純粋な異性愛者が少数派に転落してしまうんじゃないでしょうか。
実際、欧米以外の地域では、バイセクシュアルは必ずしも少数派ではありません。
バイセクシュアルを男女両方とセックスする人間であると定義したら、ほとんどのアラブの男はバイセクシュアルになります。
またラティーノと呼ばれる中南米の男性にもバイセクシュアルの傾向が強いと聞いてます。
日本でも、江戸時代には男色と女色の両方を楽しむのが一般的だったとものの本には書いてあります。
人間は本来、男と女の両方とセックスできる動物で、どちらか一方の性としかセックスできないという方が少数派なんじゃないでしょうか。
こんなことを言うと、なにを馬鹿なことを言っていると嘲笑されるに決まっているので、これまで口にしたことはなかったのですが、これがアラブの国に5年間、住んで感じた私の率直な印象です。
アラブの国にいたとき、誘った男の99%はものにしてましたが、その中で自分のことを同性愛者だと自覚して男としかセックスしないという男は稀で、ほとんどは男女両方ともOKという連中でした。
彼らは、自分がゲイであるか、ストレートであるか、それともバイセクシュアルであるか、などと考えたことなど一度もなく、チャンスさえあれば、相手が男であろうが、女であろうが喜んでセックスするという感じでした。
日本人を含む非欧米人は、白黒をはっきりさせないと気がすまない欧米人とは異なり、白でも黒でもない、あいまいなグレイの部分を大切にするというか、物事をはっきりさせないで、わざとあいまいな状態に放置するのを好む傾向があるような気がします。
セクシュアリティーについても同様で、いちいちカテゴリ分けしてレッテルを貼りたがる欧米人とは異なる感性を持っているんじゃないでしょうか。
日本では江戸時代まで男色が普通に行われていたそうですが、それは今でいうホモ=同性愛者が多かったということではなくて、いわゆるノンケの男が男色と女色の両方を楽しんでいたということらしいです。
それが現在のように男とセックスすることが特殊な行為であるようにみなされるようになったのは、明治の開国を機に日本人が西洋文化を積極的に取り入れる努力をするようになったことと関係があると思います。
日本人は、西洋文化を取り入れる過程で生殖目的以外の性を罪悪視する(同性愛や売春を否定する)キリスト教文化圏の罪の文化を中途半端に受け入れてしまったのです。
中途半端というのは、日本人は肝心のキリスト教それ自体は受け入れなかったからです。(少数の日本人キリスト教徒は存在しますが)
おかげで欧米みたいに宗教観に根ざした激しいホモフォビアは日本では生まれなかったのですが、表面的にせよ欧米化したお蔭で、男色行為は自然に反する不道徳な行為であるという「常識」が日本社会に広まることになったのです。
私に言わせれば、日本のゲイリブ活動家というのは、欧米から輸入されたホモフォビアを、これまた欧米から輸入したゲイリブ思想で闘うというけったいなことをやってる連中で、そんなややこしいことをしなくとも、江戸の昔に戻れば良いのです。
実際、私には、最近の日本人は、徐々に先祖返りしつつあるようにみえます。
明治以来ひたすら欧米に追いつけ、追い越せで頑張ってきたのが、少なくとも経済的には欧米に追いついたことで気が緩み、性にたいして寛容というか、いい加減な本来の日本人の姿に戻りつつあるような気がするのです。
そのうち、SMと同様、ホモセックスも(ゲイリブ運動とはまったく関係ないところで)市民権を得るようになるんじゃないでしょうか。
実際、ネットの世界ではホモはもう市民権を得てますからね。
2ちゃんねるの掲示板を見ていると、
「僕はホモではありませんが、男のチンポをしゃぶりたいです」
などという書き込みをよく見かけます。みんながみんな冗談ではなく「真剣に」そう願っている人もいるみたいです。
あとSM板でMの男性が、
「自分はいつもSMサロンに行ってペニスバンドを付けた女王様に犯されているけど、その気になれば簡単に組み敷くことができる女が相手だとやっぱり物足りない。自分より大柄で強い男性に本物のペニスで犯される方がそれだけ被虐の快感が高まるので男性に犯されたい」
と書き込みをしているのを見たこともあります。
その書き込みにたいして、
「あんたはホモだよ」
というレスがあったのですが、その男性は、
「自分はホモではない。なぜなら自分は男相手にセックスしても、その男に愛情を感じることはないから。自分が求めているのは飽くまでも自分が抵抗できないほど強い相手に屈服して犯されるというシチュエーションだけだから」
と反論していました。
それから最近、ノンケの男同士でオナニーパーティーを開くのが流行っているのだそうです。
そしてそういうオナニーパーティーへの参加を呼びかけるネットの掲示板の書き込みには必ず、
「申し訳ありませんが、ホモの方の参加はお断りします」
と書かれてるんだそうです。
ノンケの男が男同士、オナニーしてなにが面白いのかよく判らないのですが、こういう風にたとえオナニーだけだとしても男同士でセックスすることを好む人間は厳密な意味では異性愛者とは呼べないと思います。
だからといって、彼らを同性愛者に分類することもできません。基本的には女性とセックスするのが好きな人たちですから。
無理にカテゴリーに分類しようとすれば、バイセクシュアルになるんでしょうが、そんな風にカテゴリ分けすることに大した意味があるとは思えません。
現代の日本人のセクシュアリティーは、そんな少数のカテゴリーでは分類できないほど多様化、複雑化してきていると思うからです。
そのうちに女とのセックスに飽きたノンケの男たちがホモ市場に続々と参入してくるような気がします。
このあいだも2チャンネルの掲示板で、これまで女性の風俗しか経験がなかった男性が、
「ホモ相手の売り専クラブのボーイを買ったら、女性よりもずっとサービスがよくて感激した」
などと書き込みしているのを見かけました。
ホモに転換するノンケが増えるだろうと言っているのではありません。
そうではなくて、ホモとノンケの境界が限りなく曖昧になって、以前は女性相手に普通のセックスしかしなかったノンケがSMに興味をもちだし、SMが市民権を得たように、
ノンケのセックスのレパートリーにホモセックスも含まれるようになって、男も女もSMもなんでもありの、ぐちゃぐちゃな状態になっていくような気がするのです。
「私的男色論」
by jack4africa
| 2008-05-16 00:08