2008年 06月 27日
アメリカのゲイリブの特殊性 |
”70年代にアメリカの男性同性愛者は、自分達をエスニック・グループめいたものに再編した。その民族的特性は性的貪欲さというわけだ。” スーザン・ソンタグ
このブログの読者の方は、私が日頃から、日本のゲイリブを目の仇にしていることにすでにお気づきのことと思いますが、私が本当に批判したいのは、本家、アメリカのゲイリブの方です。
日本のゲイリブというのは、所詮、アメリカのゲイリブのサル真似にすぎませんから。
アメリカのゲイリブの主張になぜ同調する気になれないか、その理由を述べる前に、まずアメリカでゲイリブの運動が起こった背景と、その特徴を私なりに考察し、分析してみたいと思います。
アメリカのゲイリブが理想の自画像として描く男性同性愛者(ゲイ)の特性を要約すると、大体、次のようになると思います。
(1) 同性愛者であるというアイデンティティーをしっかりと持つ。
(2) 同性愛者であることを誇りに思う。
(3) 同性愛者であることを世間にカミングアウト(公表)する。
(4) 男性であるというアイデンティティーを持つ。
(5) 性行為における女性的役割(ウケ役)と男性的役割(タチ役)の固定化を拒否する(リバになる)。
(6) ゲイ同士がカップルになり、男女のカップルや夫婦のように暮らす。
(7) ゲイコミュニティーを形成する。
(8) ゲイ団体を組織し、ゲイの権利のために闘う。
ざっとこんなところだと思いますが、アメリカの同性愛者がゲイリブ運動を通して、このような主張を行うようになった背景としてまず第一に、アメリカが世界でも稀にみるホモフォビアの強い国で、同性愛者に対する差別が特別、厳しかったという事実を指摘する必要があると思います。
この点はいくら強調しても、したりないと思いますね。
ユダヤ・キリスト教的価値観を伝統とする西欧社会は、「生めよ、増やせよ」という聖書の教えに忠実に、同性愛をはじめとするあらゆる非生殖的な性行為をタブー視してきたのですが、
キリスト教の宗派の中でも特に原理主義的な傾向の強いのがプロテスタント諸派で、その中でも一番過激な原理主義を唱えていた清教徒が新大陸に移住して創りあげた国がアメリカなのです。
その結果、アメリカは世界一ホモフォビアの強い国になり、同性愛や妊娠中絶などの反生殖的行為は、道徳的に非難されただけでなく、法律でも禁じられ、厳しい取締りの対象となったのです。
上記の(1) (2) (3)、すなわち、同性愛者であるというアイデンティティーをしっかりと持ち、同性愛者であることを誇りに思い、同性愛者であることをカミングアウトしよう、というアメリカのゲイリブの主張は、
私などから見ると、なんでそこまで同性愛者であることにしつようにこだわるのか不思議に思えるのですが、それだけアメリカでは同性愛者に対する社会的偏見や差別が強く、嫌でも自分が同性愛者であることを強く意識せざるを得ない状況に置かれているということでしょう。
アメリカでは、日本とは異なり、同性愛は単なる趣味嗜好ではなく、それ以上のもの、神の教えに背く罪深い行為として糾弾され、同性愛者は、ホモセックスを行なうというだけで、その全人格を否定されるような扱いを受けてきました。
そのようなホモフォビアの強いアメリカ社会で、同性愛者が生きていくためには、「ゲイプライド」という標語を掲げてみずからを鼓舞する必要があったわけです。
ゲイ解放運動と同時期にアメリカで活発になった黒人解放運動のスローガン、「ブラック・イズ・ビューティフル」についても同様のことがいえると思います。
アメリカの黒人たちがあえて「黒人は美しい」と自己主張しなければならなかったのは、それだけ当時のアメリカでは「黒人は醜い人種である」という通念がまかり通っていたということでしょう。
逆に、アフリカの黒人は、「ブラック・イズ・ビューティフル」などと言って自分を励ます必要はありません。
ブラック・アフリカの住民の大半は黒人で、ブラック・アフリカに留まっている限り、肌の色で差別されることはないからです。
同様に、同性愛者に対する差別が存在しない国や、存在するとしてもその度合いが小さい国では、同性愛者たちは、自分が同性愛者であることをことさら意識することはなく、わざわざ誇りに思う必要もないのです。
次に上記の (4) と (5) の自分が男性であるというアイデンティティーを持つことと、性行為における女性的役割(ウケ役)と男性的役割(タチ役)の固定化を拒否し、タチ役とウケ役の両方を行う(リバになる)という特性ですが、
これは、アメリカが非常に強固な男性優位社会であることの反映だと思いますね。
アメリカでは、ゲイリブ運動や黒人解放運動と同時期にウーマンリブの運動も起きていますが、これはなにもアメリカ女性の意識が高かったからではなく、実際に運動でも起こさなければやってられないほど、アメリカでは女性の地位が低かったということでしょう。
以前、若い俳優の夫婦を選んで、夫には女装させ、妻には男装させて街を歩かせて、異性になる体験をさせるという、アメリカで製作されたテレビ番組を見たことがありますが、
女になった夫は、女でいるとデパートなんかに行っても、店員がなかなか寄ってこないとか、女は社会的に軽く扱われていると感じ、逆に男になった妻の方は、店で買い物するときに、女でいたときと較べて店員の応対が丁寧になったと語っていたのが印象的でした。
女性が消費者として大切に扱われる日本では考えられないことですが、アメリカ社会は、見かけの男女平等とは裏腹に現実の生活では女であるとなにかと損をするようにできているみたいです。
そのような男性優位のマッチョ社会であるアメリカが、女性と同様、女性的な男性にとっても生きにくいところであろうことは容易に想像がつきます。
アメリカのゲイが、みずからを男性であると自覚し、セックスでもウケ役だけでなく、タチ役もやるようになったのは、ホモ=女っぽい=受け身のセックス、という同性愛者のステレオタイプのイメージに反発したためだといわれていますが、
アメリカ人も含めてホモの男性に女性的な男性が多いのは世界共通の現象で、タチ役よりウケ役をやりたがるホモの方がずっと多いというのも周知の事実です。
それにもかかわらず、あえてみずからの女性的部分を否定したがるということは、それだけアメリカ社会では女性的であることがマイナスに働くということでしょう。
しかし、アメリカのゲイ達が男性であることをあまりに強調しすぎると、今度は、逆にアメリカにも多数存在する女性的なホモの存在を否定することになり、新しい差別を生み出すことにつながるんじゃないでしょうか。
アメリカのゲイとは対照的に、日本のホモは、ゲイリブにかぶれているような若いホモでも、平気でオネエ言葉を使ったりして、自分の中のオンナの部分を表に出すことに抵抗がありません。
これは日本社会が、女でいることが不利にならない社会であることの表れだと思いますね。
多くのアメリカ人は、日本は男尊女卑の国で、日本では女性の地位が大変低いと思い込んでいるそうですが、実際に日本に住んでみて、日本社会をよく観察すれば、それがいかに皮相な見方であるか、よくわかるはずです。
日本が女性にとって本当に住みにくい国であれば、日本で女の子を持ちたがる夫婦の数が男の子を持ちたがる夫婦の数を上まわるなどという現象が起るはずがありません。
ちなみに儒教思想の強い中国や韓国では現在でも、女の子よりも男の子を望む夫婦の方が圧倒的に優勢だそうです。
あとアラブ・イスラム圏やラテンアメリカなど男性のマッチョ志向が強いといわれている地域で、意外と女性的男性が受け入れられているという事実があります。
これはどういうことかというと、これらの地域が日本と同様、タテマエとしての亭主関白とホンネの部分でのカカア天下という二重規範を持つ社会であるということです。
日本と同様、これらの地域に住む女性は、欧米人が考えるほど弱くはないのです。
アラブ女性については、「アラブ女性」で書いたように、もの凄く強いです!
あと中南米や南欧のマッチョなラテン男にマンマ(母親)べったりのマザコン男が多いのも周知の事実です。
名実ともに男が強いアメリカ社会が、世界的にみて非常に特殊な社会なのです。
次に (6) のゲイ同士がカップルになり、男女のカップルのように同棲したり、法的に可能な場合は結婚して、末永く一緒に暮らすことを理想とするという特性ですが、これはアメリカをはじめとする欧米社会がカップル社会であることの反映だと思いますね。
インターネットが登場する前は、海外のゲイ情報はもっぱらスパルタカス・ゲイガイドに頼っていたのですが、欧米のゲイ関連の施設としてゲイバーやゲイサウナに加えて、ゲイレストランというものが存在することが不思議でしょうがありませんでした。
ゲイバーやゲイサウナが必要な施設であることはわかるのですが、食事までゲイ専用のレストランで取らなければならない必然性がどうしても理解できなかったのです。
あるとき、その謎が氷解しました。
当時、働いていた会社の男性の上司と2人で、フランスのパリに出張することになったのですが、パリに着いてから、その上司がパリの穴場的なしゃれたレストランに行きたいといいだしたのです。
私は若い頃、パリに住んでいたのですが、ビンボー生活をしていたので、そんなしゃれたレストランなんか知りません。
それで泊まっていたホテルの女主人に相談して一軒のレストランを紹介してもらい、上司を連れて行ったのですが、店内に入った瞬間、自分が大きな失敗を犯したことに気づきました。
たしかに、そのレストランは隠れ家的なしゃれた雰囲気のレストランだったのですが、客が全員、男女のカップルだったのです!
金のありそうな中年男とその愛人らしい着飾った若い女のカップルに囲まれて男同士で食事をするのがいかに居心地が悪かったか、容易に想像していただけると思います。
そのときはじめて私は、欧米社会がいかに強力な男女のカップル社会であるかを認識し、ゲイのカップルがしゃれたレストランで食事をしようと思えば、男同士で行っても周囲から浮いてしまわないゲイ専用のレストランを作るしかないという現実を理解したのです。
反対に、カップル社会でない日本では、結婚していても、休日には旦那は男友達と一緒にゴルフに行き、奥さんは仲良しの奥さん連中と連れ立って食事に行くなど男女別々の行動を取ることが多く、街中のおしゃれなレストランは、中年マダムや若いOLのグループなど同性のグループ客で溢れています。
そのようなレストランでは、男同士でいてもさほど目立つことはありません。
アラブ・イスラム圏となると、さらに男女の隔離は徹底しています。
街中のカフェやレストランの客は殆ど男で、夫婦や女性を含む家族連れでレストランに行くと、ほかの客から見えないようにカーテンで仕切った席に案内されます。
当然のことながら、このようなところではゲイレストランなど必要ありません。
実際のところ、アラブの街に数多く見られるカフェは、欧米や日本のゲイバーの役割を果たしています。
客の大半は男性で、その多くが男とセックスすることに抵抗がないからです。
同様にアラブ・イスラム圏に存在するハンマームと呼ばれる公衆浴場は、ゲイサウナの役割を果たします。
アラブ・イスラム圏を旅行した日本人ホモの中には、これらの地域でゲイシーンと呼ばれるものが存在しないことに不満を漏らす人が多いのですが、これらの地域では殆どの男がホモセックスを行うことから、
欧米社会のように男性をゲイとストレートに区別(差別)して、少数派のゲイをゲイバーやゲイサウナなどゲイ専門の施設に隔離する必要がないのです。
一方、欧米社会は、アラブ・イスラム圏とは対照的に、男女のカップルが社交の基本単位になるのですが、欧米でゲイレストランが多数、存在するということは、前述したような男女のカップルに混じると男同士のカップルは浮いてしまうという現実的な問題に加えて、
欧米のゲイの間にもヘテロと同様、カップルとして行動するカップル文化が浸透しているという事実を示していると思います。
アメリカのゲイがあれほど同性婚にこだわるのも、アメリカ社会がカップル社会であることを抜きにしては語れないと思いますね。
次に (7) のゲイ・コミュニティーを形成するという特性ですが、これもアメリカ社会がホモフォビアの強い、ゲイバッシングの激しい社会であることと大いに関係があると思います。
アメリカではいまだに法律で同性愛を禁止している州が13州も存在するといわれていますが、そういうところでは当然、同性愛者に対する差別やゲイバッシングも激しいに違いありません。
そういう保守的な土地に住む同性愛者が差別を逃れてサンフランシスコやLAあるいはNYなどの都会に出てきて、同性愛者だけのゲットーを作ったのがゲイ・コミュニティーのはじまりとされていますが、
ゲイ・コミュニティーの中では、同性愛者であることで差別されることはありませんし、ゲイバーやゲイサウナ、そしてゲイレストランなど、ゲイにとって必要な施設が集まっていて、同じゲイ同士、周囲に気兼ねなく快適に生活できるようになっています。
そのようなゲイ・コミュニティーの内部の様子だけを見ていると、アメリカは同性愛者が解放されている国であるかのような印象を受けますが、ゲイ・コミュニティーを一歩、出ると、
そこには同性愛者であるという理由だけで殺されてしまうような、激しいホモフォビアが吹き荒れる、同性愛者にとって非常に過酷な、生きにくい世界が拡がっているのです。
(8) のゲイ団体を組織して、ゲイの権利のために闘うという特性ですが、このアメリカのゲイに特有の戦闘的な態度について、アメリカの人類学者、マービン・ハリスは、その著書『アメリカはなぜ』で、「ビクトリア朝のヒステリックな同性愛弾圧が、ゲイ運動の特別な戦闘性と大いに関係がある」と述べています。
アメリカのビクトリア朝の人は、(世界の多くの地域で見られるように)同性愛を、異性愛を補助するないしは代替する二次的な性快楽形態として許容する代わりに徹底的に堕落した人間でないと同性愛など考え付かないと主張した。
それから、同性愛とは活動のタイプではなく、存在の仕方であり、人間は異性愛的な存在か、同性愛的な存在のどちらかであり、同性愛的存在の人間は堕落した人間として忌避すべきだという、奇妙な観念が生まれてきた。
そして、同性愛者が弾圧に反抗して立ち上がったとき、すなわち押入れから飛び出したとき、彼らは同性愛を異性愛の補助(あるいは代替)として弁護する個人としてではなく、全面的な同性愛生活をもった排他的な同性愛社会の結成に献身するグループとして立ち上がったのである。
アメリカでは、同性愛者は、異性愛者とは完全に別種の人間であるとみなされて差別されたことから、同性愛者の側も自分たちを異性愛者に差別されるマイノリティーであると自己規定して、団結して差別と闘うようになったということらしいですが、
アメリカでは現在もなお同性愛を法律で禁止している州が多数、存在すること、またアメリカ社会の主流をなす、ホモフォビアの強いキリスト教右派のグループが政治的にも大きな影響力を持っていることを考えると、
アメリカのゲイが差別と闘うために政治に関与するようになったのは自然の成り行きのように思えます。
一方、日本ではアメリカみたいに同性愛を禁止する法律は存在しませんし、アメリカのように宗教感情に根ざした激しいホモフォビアも存在しません。
アメリカでゲイリブ運動を発生させ、アメリカのゲイリブ運動に特有の性格を生み出した歴史的・社会的要因、すなわち、アメリカでは宗教上の理由でホモフォビアが強く、同性愛者に対する差別が激しいこと、アメリカ社会が極端に男性優位の社会であること、
またアメリカ社会がカップル社会であることなどの歴史的・社会的要因は、アメリカ社会に固有のもので、日本にはそのような要因は存在しないのです。
したがって、私は、アメリカ流のゲイリブ運動が日本社会に根づくことは絶対にないと確信をもって断言します。
参照文献:『アメリカは、なぜ』 マービン・ハリス著、サイマル出版会
「私的男色論」の目次に戻る
by jack4africa
| 2008-06-27 00:40

