2008年 07月 08日
シワのオアシス |

シワのオアシスは、エジプトの西方砂漠、リビア国境近くにある古い歴史を持つオアシスで、あのアレキサンダー大王とも縁の深いところですが、エジプトの他の地域とは異なる独自の言語、文化、習慣を持っていることで知られています。
私たちホモにとって特に興味深いのは、このシワのオアシスでは男同士の結婚の習慣があったことです。
シワのオアシスの農園では、貧しい出稼ぎ労働者や黒人奴隷が小作人として働いていたのですが、彼らは城壁で囲まれたシワの町の中に立ち入ることは許されませんでした。
地主達が自分の妻や娘の姿を小作人達の目に触れさせることを望まなかったのがその理由だったといわれています。
そのため小作人達は、町の外で男達だけで集団生活をしていたのですが、自然の成り行きで男達の間では同性愛が盛んになりました。
このこと自体は、軍隊や刑務所など閉鎖された男だけの集団ではよく起こることで、それほど珍しくないのですが、シワのユニークな点は、この男同士の関係が一種の文化にまで高められたことにあります。
男同士の求愛のダンスや求愛の歌が作られ、男同士の結婚式まで執り行われたのです。
第二次大戦中、リビアからエジプトにかけての砂漠地帯は、「砂漠のキツネ」の異名を取ったロンメル将軍率いるドイツ軍と英軍を中心とする連合軍の激戦地となりました。
シワのオアシスにもイギリス軍の駐屯地が置かれ、その結果、シワの男同士の結婚という特異な習慣が外部世界に知られるようになり、大戦後まもなく、外聞をはばかったエジプト政府は、この男同士の結婚を禁止するようになります。
しかし、禁止令が出たあとも、男同士の結婚は密かに行われていたという説があります。
エジプトでは結婚するときに、花婿と花嫁の間で、万一の離婚の場合の慰謝料の額など、離婚の条件を細かく取り決めた結婚契約書を交わす習慣があります。
シワの男同士の結婚でもこの結婚契約書が取り交わされていたそうですが、結婚禁止令が出たあとは、この結婚契約書が作成されなくなっただけで、結婚の習慣自体は水面下で続いていたというのです。
また、シワのオアシスは、シワ版ゲイナイトともいうべき、Zaggalahと呼ばれる独身男だけが参加する野外パーティーが開かれることでも知られていました。
この男だけのパーティーは、最後には、酒に酔った男達による乱交にまで発展することで有名だったそうですが、今でもこの種のパーティーは、密かに開かれているといわれています。
長年にわたってシワ周辺で発掘作業に従事したエジプト人考古学者で、そのようなパーティーに何度も参加した経験のあるAhmed Fakhry博士が、その様子を次のように語っています。
ちゃんとした日本語に訳す自信がないので、原文をそのまま引用します。
"Their gayest parties are those held in the evening, when they get very drunk and begin to dance in a circle. Each one puts a girdle around his waist and another above his knees and moves round and
round, jerking his body, leaning forward and putting his hands on the shoulder of the man in front of
him. The musicians sit in the middle, or at one side, and the dancers are supposed to sing together, but in their excitement one hears shouts and shrieks as if they were wounded animal. It does not take long before on lookers observe that some of dancers
come very close to those in front of them and the
dance turns into erotic movement..."
シワのゲイナイトも、けっこう盛り上がってたみたいです。
参照文献:The Oases of Egypt, Volume I, Siwa Oasis by Ahmed Fakhry
☆ シワのオアシス訪問記
2007年2月のエジプト旅行の際に、以前から行きたいと願っていたシワのオアシスを訪れる機会をもつことができました。
シワは観光地化が進んでいると聞いていましたが、実際は、町の中心に土産物屋が数軒あるだけの、のんびりした静かなところでした。
シワといえば男同士の結婚制度があったことで有名ですが、この制度は1952年に政府命令によって禁止されたとのことです。
それでもまだ、過去の名残りのようなものは見られるのではないかと期待して行ったわけですが、現地で調べたところ、上記のZaggalahと呼ばれる独身男だけが参加する野外パーティーはまだ開かれているそうです。
シワの観光案内所でもらった観光パンフレットにちゃんと書いてありました!
そのパンフレットの「シワの慣習と伝統」という見出しの下に「ダンスと音楽」という項目があって、そこには次のように書かれてあります。
シワの人々は歌や踊りを好む。歌い手や踊り手はザガラ
(Zagala)と呼ばれるが、これは「棍棒を持つ人間」という意味である。この特殊な階層の住民の仕事は、日中は金持ちの地主の畑で働くことであったが、現在もそれは変わっていない。
ただ現在は、ザガラという言葉は、貧富に関係なく、すべての若い男を指す言葉になっている。ダンス音楽の演奏には大半の場合、フルートとドラムが使用される。通常、自然や恋がテーマになる歌には、シワ語の非常に美しい歌詞が付いている。
この文章には同性愛のどの字も出てきませんが、歌い手や踊り手が、ザガラと呼ばれる独身男に限定される点は、昔と変わっていません。
ザガラの本来の意味である「棍棒を持つ人間」というのは、彼らが近隣の敵対する部族やベドウィンたちの攻撃からオアシスを守るために常に棍棒を携帯していたことから来ています。
かってシワの裕福な地主の畑で働いていた小作人で、現在もなお小作人として働いているこのザガラと呼ばれる特殊な階層の男たちこそが、かって男同士の結婚を行なっていたシワの住民なのです。
現在では小作人であるかどうかに関係なく、シワのすべての独身男はザガラと呼ばれているそうですが、このザガラ=独身男だけが集って歌い踊る男だけのパーティーはいまだに開かれているというのですから、「伝統」はちゃんと残っているわけです。
彼らがパーティーで歌うというシワ語の恋の歌は、もしそれが最近、作られたものでないならば、男女間の恋ではなく、男同士の恋を歌ったものである筈です。
現地の人間に訊いたところ、このザガラが集るパーティーが開かれる日時は不定期で、決まっていないとのことでしたが、そのようなパーティーが開かれるときに偶々、シワに居合わせたとしても、後述する理由により、外国人ツーリストがパーティーに招待される可能性はきわめて低いと思われます。
最近のエジプトにおけるイスラム原理主義の台頭によって、シワでも現在はアルコールの飲酒が禁じられていますが、かってアルコールが飲めた時代にはこの独身男だけのパーティーでは、参加者はビールを大量に飲んで騒いだといいます。
「で、そのあとは乱交になったのかい?」
とその話をしてくれたシワの若い男に訊いたら、
「そんなことはない!」
と否定していましたが・・・
それでも、シワの「伝統」を考えれば、独身男たちが集って、飲めや歌えやの大騒ぎになって、そのまま何事もなく終わるとは思えません。
未婚の男女の交際が厳しく制限されていて、独身男の性欲の捌け口は、同じ仲間である独身男しかいない、という状況は現在でも変わっていないのです。
しかし、シワの人間は、過去の男同士の結婚の習慣についても、現在も続いている筈の男同士のセックスの習慣についても、触れられることを極端に嫌います。
男同士の結婚の習慣について質問すると、
「あれはずっと昔の話だ。現在はそのような習慣はない!」
と木で鼻をくくったような答えが返ってきますし、男同士のセックスの習慣については訊くのも憚られるといった雰囲気でした。
もっとも、これはシワに限らず、アラブ・イスラム圏全体についていえることで、これらの地域では、男同士のセックスはだれでもヤッていることだけど、宗教的には禁止されているので、それについて語ることはタブーなのです。
ただ、シワの住民の場合は、この種の話題について特別、神経質になる理由があります。
シワの過去の男同士の結婚の習慣の噂を聞きつけて、多くのゲイツーリストがシワにやってきて、人前で大っぴらに土地の男の子を誘惑するなど傍若無人の振る舞いをして、町の人々の顰蹙を買っているからです。
シワの長老たちは、シワの青少年がゲイツーリストを相手に売春して金を稼ぐことを覚えたり、エイズをはじめとする性病に感染させられることを憂慮しているといいます。
カイロやアレキサンドリアのような大都市では、だれも他人のことに関心を持ちませんが、シワは周辺の村を合わせても人口が1万5千人程度の小さなオアシスです。
住民の大半は生粋のシワ人で、よそ者は少なく、過去に多くの外敵に攻められた歴史を持つだけに、団結心も強いといわれています。
そのような保守的な小さなオアシスの町であるシワの住民が、観光客には来てもらいたいけれど、セックス目的のツーリストには来て欲しくないと考える気持ちはよく理解できますし、彼らの意向は尊重すべきだと思いました。
私がシワをセックス・ツーリズムの場にすべきではないと考えるもう一つの理由はここが一種の聖地だからです。
シワのオアシスの歴史は古く、有名なギリシャの歴史家、ヘロドトスの著書にもシワに存在したアモン神殿に関する記述が出ているそうです。
このアモン神殿の神託(予言)は、京都の清明神社の占いと同様、よく当たると評判で、かのアレキサンダー大王も、エジプトを征服した折りに、このシワのアモン神殿に詣で、その神託を聞いたといわれています。
アレキサンダーに下された神託は、彼がアモン神の子であるというもので、当時、ギリシャではアモン神はゼウス神と同一視されていたことから、アレキサンダーはゼウス神の子ということになり、世界の征服者としての資格をアモン=ゼウス神によって認められたということになります。
アレキサンダーはこのシワのオアシスが大層、気に入ったらしく、遺言で自分の遺体をシワの地に埋葬するようにと言い残して亡くなったといわれています。
今から10年ほど前、シワでアレキサンダー大王の墓が発見されたというニュースが流れましたが、後続のニュースがなかったところをみると、ガセネタだったようです。
それでも、大王の墓がまだ発見されていないことを考えると、彼の墓がシワにあるという説も完全に否定しきれないのです。
話は前後しますが、紀元前525年頃に、シワのアモン神殿の神官が、エジプトを征服したペルシャ王、カンビュセス2世の統治は長続きせず、王は悲劇的な最期を遂げるであろうとの神託を下し、この神託に怒ったカンビュセス2世が、シワのアモン神殿を破壊するために大軍を派遣するという事件が起ります。
カンビュセス2世は、ハルガ・オアシスからシワに向けて、5万人の兵士で構成される大軍を派遣するのですが、その軍隊はシワに到着する前に砂漠で砂嵐に見舞われ、兵士たちは一人残らず、砂の中に埋もれてしまいます。
この砂嵐という「神風」が吹いたお陰で、シワがカンビュセス2世の攻略を免れたことと、カンビュセス2世がシワの神官の予言どおり、悲劇的な最期を遂げたことによって、シワのアモン神殿の権威は一層、高まったといわれています。
その後、シワには4世紀にキリスト教が伝わり、7世紀にはイスラム教が伝わりますが、シワの住民のアモン神信仰は続き、シワの住民が完全にイスラム教に改宗したのは12世紀になってからのことだといわれています。
このように住民の信仰する宗教は変わっても、シワはそのスピリチュアルなパワーを現在まで維持しているように思えます。
地球上には、パワースポットと呼ばれる、人を癒す水や人に語りかける岩、人にパワーを与える磁力を発する断層などが存在する場所が点在しているといわれていますが、シワはそのようなパワースポットの一つなのです。
パワースポットでは、人は不思議とくつろぎ、エネルギーが充電され、溜まっていた心身の汚れが浄化されるといいますが、私がシワで体験したのはまさにそれでした。
エジプトとは思えぬ静かな環境の中、砂漠に沈む夕日を眺めながら、瞑想に耽っていると、セックスのことなんかどうでもよくなってくるのです。
いや、ホンマ!
そのような理由から、私は、シワは男を求めていく場所ではなく、精神的な癒しを求めていく場所であるとの結論に達したのでした。
「世界男色帯」
by jack4africa
| 2008-07-08 02:29

