2008年 07月 25日
ハンニース:中間の性 |

1974年、オマーン北東海岸の町、ソハリでフィールドワークを行なっていたノルウェー人の女性人類学者、ユンニ・ワイカンは、友人のオマーン人女性が道端で立ち止まって男性と話している光景を目撃して驚きます。
オマーンのような戒律の厳しいイスラム国家では、女性が街中で自由に男性と話をすることは普通、考えられないことだからです。
さらにワイカンは、友人の女性と話している男性の服装にも注目します。
その男性は通常、オマーン人の男性が着るカンドゥーラと呼ばれる白いゆったりしたアラビア服の代わりに、ピンク色の腰まわりをきゅっと絞った、身体にピッタリと張り付いたカンドゥーラを身にまとっていたからです。
ワイカンはその友人のオマーン人女性から、彼はハンニースと呼ばれる男性と女性の中間的な存在で、ソハリの町の家庭の召使いや男性相手の売春夫は全員、ハンニースであると教えられます。
このようなハンニースと呼ばれる男性と女性の中間の存在はどのようにして生まれるのでしょうか?
ワイカンがオマーン人から聞いたハンニース誕生の経緯は次のとおりです。
オマーンでは、男の子が思春期になって性的な事柄に関心を持ちはじめると、男の子同士でアナル・セックスを楽しむようになります。
その場合、少年たちは互いに相手のバックを掘り合うのですが、その中で、常に受け身の役ばかりやりたがる女性的な男の子が必ず見つかり、そういう男の子がハンニースになるのだそうです。
このような思春期の少年の間の性的な遊びはオマーンのようなアラブ・イスラム圏だけでなく、ブラジルでも見られ、トロッカ・トロッカと呼ばれてます。
トロッカ(troca)はポルトガル語で「交替」を意味する言葉ですが、少年たちは代わる代わる交替でタチ役とウケ役を務めながら、少年同士でアナル・セックスを行なうのです。
そしてオマーンの場合と同様、常に受け身を好む少年が女性として扱われるようになり、彼らは成長すると、女装の娼夫になるケースが多いそうです。
オマーン社会では、このような女性的な男性の存在は必ずしも祝福されないそうですが、そのような男性がもつ女性的特徴は生まれつきのもので、矯正不可能であると考えられていて、彼らが男性相手に売春を行なうことは黙認されているそうです。
イスラム教では男同士のセックスは禁じられているではないか、といわれるかもしれませんが、ハンニースは完全な男性ではなく、
男性と女性の中間的存在とみなされていることから、ハンニースと普通の男性のセックスは男同士のセックスとは解釈されないみたいです。
私はアラビア語の専門家ではないので断定はできないのですが、ハンニース=Khanithという言葉は、アラビア語で宦官を意味するMukhannathunという言葉から来ているのではないかと思います。
宦官というのは、かってイスラム世界や中国に存在した、去勢されてハレム(後宮)に奉仕した男性のことを言いますが、
元々、アラビア語のMukhannathumという言葉には宦官だけでなく、現在の同性愛者に相当する女性にたいして性欲を感じない男性も含まれているのだそうです。
いずれにせよ、人工的な手術によって物理的に女性との性交が不可能になるか、あるいは元々、女性にたいして性欲を感じず、女性とセックスすることを望まないかの違いはあっても、このような男性にハレムを監督、監視させた理由は明らかです。
ハレムを抱える主人にとって、彼らは自分の妻妾と浮気をする恐れのない、性的に無害な存在だったからです。
オマーンでハンニースを召使いとして用いる理由も同様の文脈から説明できます。
召使いの仕事には、女性の召使いにはできないような力仕事もありますが、普通の男性の召使いでは、主人の妻や娘に手を出して間違いを起こす危険があります。
しかし、女性に興味のないハンニースにはその心配がありません。
またオマーンのような戒律の厳しいイスラム国では、女性は自分の肉親以外の男性に顔を見せてはならず、彼らと会うときには、顔をベールで覆わなければなりません。
そのため、家の中に男性の召使いがいると、女たちは家の中でもベールを被らなければならなくなります。
一方、ハンニースは完全な男性ではなく、男性と女性の中間であるとみなされていることから、女たちはハンニースの召使いの前ではベールを被る必要がなく、素顔を見せることができるのです。
オマーンのような男の世界と女の世界が厳格に分離され、隔離されているイスラム社会では、男と女の両方の世界を自由に行き来できるハンニースのような存在がどうしても必要になってくるのです。
ハンニースのもうひとつの職業である売春も、イスラム社会のオマーンでは重要な役割を果たしていると思われます。
アラブ・イスラム社会で女性が隔離されているのは、未婚の女性が結婚前に処女を喪失したり、既婚女性が夫以外の男性と浮気したりするのを防ぐためですが、
ハンニースは、女性に代わって未婚の男性や既婚の男性相手に売春することで、性の防波堤の役割を果たし、女性たちの貞節を守ることに貢献しているのです。
イスラム教が本来、男同士のセックスを禁じているにもかかわらず、オマーンでハンニースの売春が黙認されているのは、それが社会の役に立っているという共通の認識が存在するからでしょう。
オマーンはこのハンニースをアフリカに輸出しています。
オマーンはいまでこそ、アラビア半島の小国にすぎませんが、18世紀から19世紀にかけては、「ダウ」と呼ばれる帆船を使ったアラビア半島とアフリカ東海岸、パキスタン、インドを結ぶインド洋の海上交易を一手に引き受ける海洋大国でした。
オマーンは、アフリカのインド洋沿岸のザンジバル島やモンバサ、マリンジなどの港を支配下に置き、1832年には首都をアフリカとの交易の拠点であったザンジバル島に移しています。
そのとき、ハンニースもまたダウ船に乗って、ザンジバルに渡ったといわれています。
ちなみに明治時代に東南アジアの娼館で売春婦として働いていた「からゆきさん」と呼ばれる日本女性の中にもザンジバルやモンバサまで流れていった女性がいるそうです。
現在、ザンジバルではハンニースの後裔は、オマーンと同様、ハンニースか、又はハンニーシと呼ばれ、モンバサやマリンジなどインド洋沿岸ではマショガと呼ばれています。
マショガの仕事は男性相手の売春と、結婚式での音楽の演奏だそうです。
イスラムの結婚式では、男の客と女の客は別々の部屋に分かれて結婚を祝うのですが、マショガは男でも女でもない中間の性として、一般の男性が入れない女性の部屋に入って彼女たちのために音楽の演奏をするのだそうです。
さらにインドやパキスタンの「第三の性」として知られているヒジュラも、ハンニースの影響を受けているのではないかといわれています。
アラビア半島とパキスタンやインドの南西海岸は古くからダウ船による交易が活発に行なわれてきたことから、互いに文化的な影響が見られるのはたしかでしょう。
しかし、インドやパキスタンのヒジュラは、男性と女性の中間的存在であるオマーンのハンニースとは異なり、去勢して完全に女装している男性が多く、またその歴史も古いことから、ハンニースの影響無しにインド亜大陸で独自に発達した種族ではないかと思われます。
いずれにせよ、オマーンのハンニースやインド・パキスタンのヒジュラだけでなく、タヒチのマフやアメリカ・インディアンのベルダーシュなど世界各地で中間の性あるいは第三の性と呼ばれる女性的男性が存在することからみて、
このような女性的男性の存在は局地的なものではなく、人類全体に共通する普遍的なものとして考えるべきでしょう。
唯一の相違は、彼らの存在を社会的に認めるかどうかであって、女性的男性あるいは同性愛者の存在を否定し、彼らを迫害することしか考えなかった欧米キリスト教圏に較べて、
このような女性的男性に無理やり、男っぽくなることを強制せず、社会の中に彼らに相応しい居場所を用意した非欧米文化圏の方がよほど人間的で寛容な社会であることは明らかです。
参照文献
Islamic Homosexualities by Will Roscoe
「世界男色帯」
by jack4africa
| 2008-07-25 00:06