2008年 08月 08日
アザンデ族の少年妻 |

南スーダンに住むアザンデ族は、かっていくつかの侯国に分かれて、互いに覇を競っていました。
各侯国は、若い独身者で構成される軍団を常備軍として抱えていて、軍団に属する若い戦士たちは、軍役に就いている間、一時的に妻としての役割を果たす少年と結婚する習慣がありました。
戦士は少年と結婚するとき、若い娘と結婚するときと同様に、妻となる少年の両親に「花嫁代」として5、6本の槍を贈り、娘と結婚したときと同じように、少年の両親には義理の父、あるいは義理の母として接したといいます。
少年妻は、夫のために水を汲み、焚き火を集め、料理の支度をし、行軍のときには夫の楯を持ち、夜は夫と一緒に寝て、その性的欲望を満たしました。
セックスの体位は、戦士の夫が自分のペニスを少年妻の太ももの間に挿入する、いわゆる「素股」がメインで、少年妻の方は自分のペニスが夫の腹部にこすれる快感だけで満足しなければならなかったそうです。
アザンデ族の若い戦士が少年と結婚するようになったのは、戦場に同行するには女性よりも少年が向いていることに加えて、
古代ギリシャや日本の戦国時代と同様、年上の戦士との精神的、肉体的な密接な関係を通じて、少年に一人前の戦士になるための心構えを学ばせるという、教育的な目的もあったと考えられます。
少年妻の年齢は12、3歳から20歳位までで、青年に成長すると、妻としての役割を終えて一人前の戦士になりました。
年上の夫は、成長して一人前の戦士になった少年妻に戦士の象徴である槍と楯を贈って彼を祝福し、彼と別れたあと、また別の少年を見つけて結婚したといいます。
一人前の戦士になったかっての少年妻の方は、今度は夫として自分の妻になる少年を見つけて結婚したそうです。
このようにして、アザンデ族の戦士は、軍役を終えるまでに平均して3回程度、少年との結婚を繰り返したといいます。
戦士たちは軍役を終えると女性と結婚し、子供を作って家庭に落ち着きますが、戦争のときに予備役として召集される場合には、やはり少年妻をみつけて戦場に連れて行ったそうです。
さらに司令官クラスになると、少年妻も一人ではなく、何人もいたといいます。
このように見てくると、少年妻の制度はあくまでも軍隊という男だけの世界で少年を女性の代用として使う制度のようにみえますが、必ずしもそうとは限らなかったようです。
というのは、多数の女性の妻妾を持ち、女には不自由しなかったはずの侯国の君主も女性の妻妾たちとは別に、多くの美少年を小姓として召し抱えていて、彼らに夜伽をさせていたからです。
中には女性の妻妾よりも少年の小姓の方を寵愛する君主もいたといいます。
小姓が一人前の青年に成長すると、君主は成長した青年に女性と結婚するための「花嫁代」を与えてその忠君に報いたそうですが、
君主が死ぬと小姓の少年たちは「君主の穿き古したフンドシ」と呼ばれ、全員が殉死させられたそうです。
これはちょっと可哀そうですね。
「穿き古したフンドシ」とは言いえて妙ですが(笑)
この特異な男同士の結婚の習慣を持つアザンデ族の研究を、1920年代から30年代にかけてスーダンで行なったのは、高名なイギリスの文化人類学者、E.E.エヴァンス=プリチャードですが、
彼が1934年に発表した研究結果、『アザンデ族における妖術、託宣、呪術』では、アザンデ族の男色の習慣については一切、触れていません。
1973年に亡くなる直前にやっとアザンデ族に男同士の結婚の習慣があったことを雑誌に発表したそうですが、文化人類学の分野では長らく同性愛の話題はタブー視されていて、
多くの文化人類学者は研究対象の部族や民族の間で同性愛の習慣を見聞きすることがあっても沈黙を守るか、あるいはそのような習慣が存在することを間接的な表現でほのめかす程度だったそうです。
それじゃぁ、いったい、なんのための研究だったのか、と言いたくなりますよね。
アザンデ族の侯国はやがて、スーダンを植民地にしたイギリス=エジプト合同軍によって「平定」され、アザンデ族の軍団も消滅しますが、
その伝統のお陰で、現在でもスーダンでは男同士のセックスを奇異な目で見る人間は少なく、若い未婚の男性の性処理手段として半ば公認されているそうです。
参照文献:Boy-Wives and Female-Husbands by Will Rascoe
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by jack4africa
| 2008-08-08 00:25

