2008年 08月 12日
女性の夫と男性の妻 |
ジンガ、ドンゴとマタンバの”王”
ブラック・アフリカに最初に進出し、その植民地化を試みたヨーロッパの国はポルトガルですが、そのポルトガルに抵抗して、みずから軍を率いて勇敢に戦ったアフリカ女性がいます。
1582年頃、現在のアンゴラにあったドンゴ王国のンゴラ(王を意味する言葉で、現在のアンゴラの国名はここから来ています)、ダンビ・キルアンジの娘として生まれ、のちにドンゴ王国とマタンバ王国のンゴラになったジンガ王女です。
ドンゴ王国はムブンドゥ族の国で、16世紀初頭までコンゴ王国に従属していましたが、ポルトガル人との奴隷貿易をめぐってコンゴ王国と対立し、1556年にコンゴ軍を破って、コンゴ王国からの完全な独立を果たします。
ドンゴ王国の植民地化を狙っていたポルトガル軍は、1597年にドンゴ王国の首都、カバサを攻撃し、さらにマサンガノに砦を築いて、ここをブラジル向けの奴隷の集積地とします。
ドンゴ王国はゲリラ戦により抵抗し、戦争は数十年、続いて双方に多数の死者が出ます。
1623年にドンゴとポルトガルの間で和平条約が結ばれますが、このとき兄王、ムバンディ・ダンビの名代としてポルトガル側と和平条約の交渉にあたったのがジンガ王女でした。
このときの会談でポルトガルの代表を務めたポルトガルの総督に対してジンガ王女が毅然とした対等の立場で臨んだことを物語る有名なエピソードがあります。
ポルトガルとドンゴ双方の随員が見守る中で、椅子に座ったポルトガルの総督は、王女に床に敷いたござの上に座るように勧めるのですが、ジンガはとっさの機転で随員の一人に四つんばいになるように命じ、その背中に腰かけてポルトガル総督と目線が同じ高さになるようにして協議を始めたのだそうです。
このようにしていったんはポルトガルとの間で和平が成立するのですが、ポルトガル側は条約を順守せず、兄王もそれに対して優柔不断な態度しか取らなかったので、
それを憂いたジンガ王女は、翌年、兄王が死去した際(自殺説と彼女による暗殺説の両方があります)、跡継ぎである兄王の息子を殺して、みずからドンゴ王国のンゴラ(王)の地位に就き、反ポルトガル闘争を再開します。
ジンガは脱走奴隷を保護し、ポルトガル人から軍事訓練を受けたアフリカ人兵士を自国軍に迎え入れ、ポルトガルに対する反抗を組織しますが、王都カバサは1626年にポルトガル軍に奪取されます。
ジンガは逃れて隣国マタンバを占拠して、そこの王となり、ここをあらたに反ポルトガル闘争の拠点にします。
1640年代の後半にマタンバ王国のジンガの宮廷を表敬訪問したオランダの使節は、ジンガが王として男装しているだけでなく、複数の若い男性に女装させて自分の妻妾として扱っているのを見て驚きます。
王を意味するンゴラの地位には本来は男性しか就けないことから、ジンガは自分は女王ではなく王であることを証明するために王の衣装を身に付け(つまり、男装し)、さらに配偶者である若い男性たちに女装させて、彼らが自分の夫ではなく、妻妾であることを印象づけようとしたのです。
このように、状況に合わせて、女性が男性の役割を演じたり、逆に男性が女性の役割を演じることは、当時のアフリカではそれほど珍しいことではなかったそうです。
ジンガのドンゴ王国とマタンバ王国の王としての在位期間は40年近くに及び、その間、死ぬまでポルトガルに屈することなく、反ポルトガル闘争を続けたそうですから、相当の男勝りであったことは事実のようです。
ジンガの死後は、彼女の妹、ムカンブが跡を継いで闘争を続け、マタンバ王国は20世紀初頭についにポルトガルの軍門に下るまで独立王国として存続したのです。
それにしても、この女の王様が若い男の妻妾たちと、どんなSEXをしていたのか、興味がありますねぇ。
「女王様、もとい王様とお呼び!」
とかいって、ムチでビシビシ叩いてたりして・・・(笑)
参照URL:アフリカ史ノート、www16.plata.or.jp/africanhistory/
参照文献:Boy-Wives and Female-Husbands by Will Roscoe
ブラック・アフリカに最初に進出し、その植民地化を試みたヨーロッパの国はポルトガルですが、そのポルトガルに抵抗して、みずから軍を率いて勇敢に戦ったアフリカ女性がいます。1582年頃、現在のアンゴラにあったドンゴ王国のンゴラ(王を意味する言葉で、現在のアンゴラの国名はここから来ています)、ダンビ・キルアンジの娘として生まれ、のちにドンゴ王国とマタンバ王国のンゴラになったジンガ王女です。
ドンゴ王国はムブンドゥ族の国で、16世紀初頭までコンゴ王国に従属していましたが、ポルトガル人との奴隷貿易をめぐってコンゴ王国と対立し、1556年にコンゴ軍を破って、コンゴ王国からの完全な独立を果たします。
ドンゴ王国の植民地化を狙っていたポルトガル軍は、1597年にドンゴ王国の首都、カバサを攻撃し、さらにマサンガノに砦を築いて、ここをブラジル向けの奴隷の集積地とします。
ドンゴ王国はゲリラ戦により抵抗し、戦争は数十年、続いて双方に多数の死者が出ます。
1623年にドンゴとポルトガルの間で和平条約が結ばれますが、このとき兄王、ムバンディ・ダンビの名代としてポルトガル側と和平条約の交渉にあたったのがジンガ王女でした。
このときの会談でポルトガルの代表を務めたポルトガルの総督に対してジンガ王女が毅然とした対等の立場で臨んだことを物語る有名なエピソードがあります。
ポルトガルとドンゴ双方の随員が見守る中で、椅子に座ったポルトガルの総督は、王女に床に敷いたござの上に座るように勧めるのですが、ジンガはとっさの機転で随員の一人に四つんばいになるように命じ、その背中に腰かけてポルトガル総督と目線が同じ高さになるようにして協議を始めたのだそうです。
このようにしていったんはポルトガルとの間で和平が成立するのですが、ポルトガル側は条約を順守せず、兄王もそれに対して優柔不断な態度しか取らなかったので、
それを憂いたジンガ王女は、翌年、兄王が死去した際(自殺説と彼女による暗殺説の両方があります)、跡継ぎである兄王の息子を殺して、みずからドンゴ王国のンゴラ(王)の地位に就き、反ポルトガル闘争を再開します。
ジンガは脱走奴隷を保護し、ポルトガル人から軍事訓練を受けたアフリカ人兵士を自国軍に迎え入れ、ポルトガルに対する反抗を組織しますが、王都カバサは1626年にポルトガル軍に奪取されます。
ジンガは逃れて隣国マタンバを占拠して、そこの王となり、ここをあらたに反ポルトガル闘争の拠点にします。
1640年代の後半にマタンバ王国のジンガの宮廷を表敬訪問したオランダの使節は、ジンガが王として男装しているだけでなく、複数の若い男性に女装させて自分の妻妾として扱っているのを見て驚きます。
王を意味するンゴラの地位には本来は男性しか就けないことから、ジンガは自分は女王ではなく王であることを証明するために王の衣装を身に付け(つまり、男装し)、さらに配偶者である若い男性たちに女装させて、彼らが自分の夫ではなく、妻妾であることを印象づけようとしたのです。
このように、状況に合わせて、女性が男性の役割を演じたり、逆に男性が女性の役割を演じることは、当時のアフリカではそれほど珍しいことではなかったそうです。
ジンガのドンゴ王国とマタンバ王国の王としての在位期間は40年近くに及び、その間、死ぬまでポルトガルに屈することなく、反ポルトガル闘争を続けたそうですから、相当の男勝りであったことは事実のようです。
ジンガの死後は、彼女の妹、ムカンブが跡を継いで闘争を続け、マタンバ王国は20世紀初頭についにポルトガルの軍門に下るまで独立王国として存続したのです。
それにしても、この女の王様が若い男の妻妾たちと、どんなSEXをしていたのか、興味がありますねぇ。
「女王様、もとい王様とお呼び!」
とかいって、ムチでビシビシ叩いてたりして・・・(笑)
参照URL:アフリカ史ノート、www16.plata.or.jp/africanhistory/
参照文献:Boy-Wives and Female-Husbands by Will Roscoe
by jack4africa
| 2008-08-12 01:56
| アフリカの記憶

