2008年 09月 02日
アイカネ:特別な友人 |
カメハメハ大王の像
「アイカネ」とは、ハワイ語で「友人」を意味する言葉ですが、かってこの言葉にはもっとセクシュアルな意味が込められていたようです。
18世紀の後半、キャプテン・クックが初めてハワイ諸島を訪れた頃、「アリイ」と呼ばれるハワイ諸島の貴族の間では同性愛が盛んにおこなわれていました。
有力な酋長(貴族)は、貴族の子弟を含む美しい若者を愛人にする習慣があって、このような貴族の寵愛を受ける若者のことを「アイカネ」と呼んだのだそうです。
酋長たちは17歳くらいの美しい若者を見つけて、自分のアイカネにして同居させ、どこに行くにも彼らを従えて身の回りの世話をさせたそうで、お陰でアイカネは女性たちの激しい嫉妬の対象になったといいます。
このアリイとアイカネの同性愛関係はオープンなもので、制度化されていて、アイカネとしてアリイの寵愛を受けることになった若者は、そのことを大変、光栄に感じたといわれています。
そのへんの感覚は、かっての日本の武士階級の主君と小姓の男色関係を伴う主従関係に似ているようです。
当時のハワイ人は同性愛は悪であるという西洋的・キリスト教的な倫理感は持ちあわせていなかったので、ハワイを訪れたヨーロッパ人にたいしても、自分たちの同性愛の習慣を隠すことはなかったといいます。
それどころか、キャプテン・クックの船の乗務員の中で美貌の若者を見つけると、
「彼はだれのアイカネか?」
と無邪気に訊ねたそうです。
彼らの常識では、美しい若者を周囲の男たちがほっておくはずはなく、当然、だれかの愛人になっているに違いないと考えたのです。
またある美貌の船員は、知り合いになった酋長から、ハワイに留まって自分のアイカネになるように口説かれたといいます。
酋長は、
「船が完全に島を離れるまで君を丘の中に隠し、そのあと私の手で君を立派な男にしてやる」
といったそうですが、このことは若者が有力な酋長のアイカネになって酋長と性的な関係を持つことは、西洋人が考えるように女性的な立場に身を置くことではなく、一人前の立派な男になるための修養の一種として考えられていたことを示しています。
実際、アイカネたちは一定の年齢になると結婚して子供を作り、普通の男として暮らしたそうですから、彼らを現在のホモやゲイと同一視するのは適当ではないでしょう。
ハワイを訪れた西洋人たちは、このようなハワイ人の同性愛の風習を目にして、当然、嫌悪感をおぼえるのですが、それでもアイカネの存在やその同性愛の習慣を表だって非難することは控えたといいます。
アイカネには有力な酋長や貴族の子弟が多く、彼らはヨーロッパ人と酋長の間の連絡役として重要な役割を果たしたからです。
キャプテン・クックを迎えたハワイの王は、ハワイの統一を成し遂げたカメハメハ大王でしたが、カメハメハ大王自身、若い頃は、叔父でハワイ島の酋長であったカラニオプウのお気に入りのアイカネであったといわれています。
その後、ハワイでは白人入植者の数が増え、アメリカ合衆国の影響が徐々に強まってきます。
アメリカの勢力に対抗することを意図したのでしょう、カメハメハ大王から数えて5代目のカラカウア王は1881年に世界一周旅行の途中、日本に立ち寄った際に、明治天皇と密かに会って、ハワイの王族のカイウラニ王女と日本の皇族の結婚を持ちかけたといわれています。
明治天皇はこの提案を丁重に辞退されたといいますが、もし、この婚姻が成立して日本とハワイが同盟を結んでいたら、その後の日本とハワイとアメリカの関係は変わっていたかもしれません。
結局、カラカウア王の夢は実現せず、カラカウア王の後を継いだリウオカラニ女王のときにハワイはついにアメリカ合衆国に併合され、ハワイ王朝は終焉してしまいます。
最近、ハワイの先住民であるハワイ人の間で、ハワイの伝統文化を見直す動きが出ているそうですが、彼らにかっての「アイカネ」の伝統についてどう考えているのか訊ねてみたいものです。
参照文献:Homosexualities by Stephen O. Murray
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「アイカネ」とは、ハワイ語で「友人」を意味する言葉ですが、かってこの言葉にはもっとセクシュアルな意味が込められていたようです。
18世紀の後半、キャプテン・クックが初めてハワイ諸島を訪れた頃、「アリイ」と呼ばれるハワイ諸島の貴族の間では同性愛が盛んにおこなわれていました。
有力な酋長(貴族)は、貴族の子弟を含む美しい若者を愛人にする習慣があって、このような貴族の寵愛を受ける若者のことを「アイカネ」と呼んだのだそうです。
酋長たちは17歳くらいの美しい若者を見つけて、自分のアイカネにして同居させ、どこに行くにも彼らを従えて身の回りの世話をさせたそうで、お陰でアイカネは女性たちの激しい嫉妬の対象になったといいます。
このアリイとアイカネの同性愛関係はオープンなもので、制度化されていて、アイカネとしてアリイの寵愛を受けることになった若者は、そのことを大変、光栄に感じたといわれています。
そのへんの感覚は、かっての日本の武士階級の主君と小姓の男色関係を伴う主従関係に似ているようです。
当時のハワイ人は同性愛は悪であるという西洋的・キリスト教的な倫理感は持ちあわせていなかったので、ハワイを訪れたヨーロッパ人にたいしても、自分たちの同性愛の習慣を隠すことはなかったといいます。
それどころか、キャプテン・クックの船の乗務員の中で美貌の若者を見つけると、
「彼はだれのアイカネか?」
と無邪気に訊ねたそうです。
彼らの常識では、美しい若者を周囲の男たちがほっておくはずはなく、当然、だれかの愛人になっているに違いないと考えたのです。
またある美貌の船員は、知り合いになった酋長から、ハワイに留まって自分のアイカネになるように口説かれたといいます。
酋長は、
「船が完全に島を離れるまで君を丘の中に隠し、そのあと私の手で君を立派な男にしてやる」
といったそうですが、このことは若者が有力な酋長のアイカネになって酋長と性的な関係を持つことは、西洋人が考えるように女性的な立場に身を置くことではなく、一人前の立派な男になるための修養の一種として考えられていたことを示しています。
実際、アイカネたちは一定の年齢になると結婚して子供を作り、普通の男として暮らしたそうですから、彼らを現在のホモやゲイと同一視するのは適当ではないでしょう。
ハワイを訪れた西洋人たちは、このようなハワイ人の同性愛の風習を目にして、当然、嫌悪感をおぼえるのですが、それでもアイカネの存在やその同性愛の習慣を表だって非難することは控えたといいます。
アイカネには有力な酋長や貴族の子弟が多く、彼らはヨーロッパ人と酋長の間の連絡役として重要な役割を果たしたからです。
キャプテン・クックを迎えたハワイの王は、ハワイの統一を成し遂げたカメハメハ大王でしたが、カメハメハ大王自身、若い頃は、叔父でハワイ島の酋長であったカラニオプウのお気に入りのアイカネであったといわれています。
その後、ハワイでは白人入植者の数が増え、アメリカ合衆国の影響が徐々に強まってきます。
アメリカの勢力に対抗することを意図したのでしょう、カメハメハ大王から数えて5代目のカラカウア王は1881年に世界一周旅行の途中、日本に立ち寄った際に、明治天皇と密かに会って、ハワイの王族のカイウラニ王女と日本の皇族の結婚を持ちかけたといわれています。
明治天皇はこの提案を丁重に辞退されたといいますが、もし、この婚姻が成立して日本とハワイが同盟を結んでいたら、その後の日本とハワイとアメリカの関係は変わっていたかもしれません。
結局、カラカウア王の夢は実現せず、カラカウア王の後を継いだリウオカラニ女王のときにハワイはついにアメリカ合衆国に併合され、ハワイ王朝は終焉してしまいます。
最近、ハワイの先住民であるハワイ人の間で、ハワイの伝統文化を見直す動きが出ているそうですが、彼らにかっての「アイカネ」の伝統についてどう考えているのか訊ねてみたいものです。
参照文献:Homosexualities by Stephen O. Murray
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by jack4africa
| 2008-09-02 00:13