2008年 10月 03日
ヒジュラ:第三の性 |
インドやパキスタン、バングラデシュなどを含むインド亜大陸には、ヒジュラと呼ばれる、男でもない女でもない「第三の性」に属する人々が存在します。
ヒジュラはウルドゥ語で「半陰陽」あるいは「両性具有者」を意味する言葉ですが、生まれつきの半陰陽はごく少数で、大半は去勢手術を受けてヒジュラになった男性だといわれています。
多くは十代の頃、身体は男だけど、心は女であることを自覚して、自分の意思でヒジュラの共同体に入るそうです。
彼らは日本で言うところの「性同一性障害」に該当しますが、インド亜大陸では、このような男性の肉体と女性の心を持つ人間を「障害者」とはみなさず、神様がそのように作られた人間であると考えます。
インドにはこのような「第三の性」の概念が古くから存在し、神話や民間伝説に両性具有の神様や人間がよく出てきます。
たとえば、インドで人気を二分するヒンズー教の神様、シヴァ神とヴィシュヌ神は両方とも、男の神様ですが、ヴィシュヌ神はシヴァ神の子供を産んでいます。
男に子供が産めるわけないだろッ!
ていわれるかもしれませんが、ヴィシュヌ神はときどき、モヒニという女神に変身(性転換)するのです。
ヴィシュヌ神がモヒニに変身しているのを偶々、目撃したシヴァ神が、その豊満な肉体に欲情し、モヒニと交わって生まれたのが南インドで人気のあるアイヤッパという神様だといわれています。
またある男性が別の男性に恋して、神様に祈って性転換して女になって、愛する男性と結婚するというような民間伝説もけっこうあるそうです。
そのせいか、インドでは男として生まれても、必ずしも一生、男性として生きていかなければならないとは考えられてはいません。
本人が望めば、女性あるいは女性に近い男性、すなわち、ヒジュラとして生きるという選択肢が用意されているのです。
ヒジュラの共同体は、通常、5人から15人程度の、グルと呼ばれるヒジュラの親分とその子分のヒジュラたちから成るヒジュラのファミリーの形態をとっています。
このようなヒジュラのファミリーは多数、存在し、互いに密接な連絡を取り合っていて、必要なときには、有力なファミリーのグルが集って会議を開き、ヒジュラに関する重要な問題を協議するそうです。
インドにはブラーミン、クシャトリア、バイシャ、スードラの4つの身分で構成されるカーストと呼ばれる身分制度が存在しますが、各カーストの身分はジャーティーと呼ばれる何百というサブカーストに細分されています。
各ジャーティーは特定の職業と結びついていて、事実上の職業ギルドを形成しています。
たとえば、鍛冶屋のジャーティーに生まれた人間は、鍛冶屋にしかなれませんが、他のジャーティーに生まれた人間は鍛冶屋にはなれないことから、鍛冶屋の仕事は鍛冶屋のジャーティーで独占できるわけです。
インドでカースト制度の弊害が言われながらも、中々、無くならないないのは、このようにカースト制度が雇用保障の役割を果たしているからだといわれています。
ヒジュラはカースト制度の外にあるアウトカーストという最下層の身分になるのですが、そのアウトカーストの中でヒジュラのジャーティーを形成して、
結婚式や男の子の出産に際して祝福を行なうという、ヒジュラにしかできないとされている仕事を独占しています。
ヒジュラになった人間は、生まれついたカーストに関係なく、アウトカーストの身分に堕ちることになるのですが、同時にヒジュラのジャーティーに所属することでヒジュラとして働くことができるようになるわけです。
ヒジュラの仕事の縄張りは、各ヒジュラのファミリーごとに決まっていて、よそ者や一匹狼が仕事をするのは事実上、不可能で、ヒジュラとして仕事をするためには必ず特定のファミリーに所属する必要があります。
そのため、ヒジュラになることを望む人間はまず最初にどこかのグルが率いるヒジュラのファミリーに入り、そこで古参のヒジュラが行なう去勢手術を受けて、ヒジュラになるのです。
去勢手術を受けることは、ヒジュラのアイデンティティーを獲得するために必要不可欠であると考えられています。
ヒジュラの表向きの仕事は、結婚式に呼ばれて(押しかけて)、新婚夫婦に子供が沢山、産まれるように祈ったり、男の子が生まれた家庭に呼ばれて(押しかけて)、
祝いの歌や踊りを披露することですが、この仕事をヒジュラができるのは、ヒジュラには新婚夫婦に子供を授ける力があると信じられているからです。
このようなヒジュラに固有の能力は、ヒジュラが去勢してみずからの生殖能力を犠牲にすることによってはじめて得られると信じられています。
そのため、去勢していないヒジュラはそのような力を持たないとみなされ、ほかのヒジュラから「本物のヒジュラ」ではないと非難されるそうです。
ヒジュラは怒ったときによくスカートをまくって性器を切り取った自分の股間を見せつける動作をするそうですが、これには自分が去勢した本物のヒジュラであることを示すデモンストレーションとしての意味合いがあるのだそうです。
ヒジュラは子供が産まれた家があると聞くと、その家に押しかけて行って勝手に祝いの歌や踊りを披露して謝礼を要求するのですが、その家庭の主人が謝礼を出すことを拒否すると散々、悪態をついてその家族を呪います。
ヒジュラには子供を授ける力と共に自分を侮辱した家族を呪ってその家族に二度と子供が産まれないようにしたり、生まれた子供が早死にするようにしむける力があると信じられています。
そのため、大抵の家族は、ヒジュラの訪問を内心では迷惑に思いながらも、その祝福を断ってヒジュラの呪いを受けると困るので渋々、彼らの祝福を受けて謝礼を出すそうです。
ヒジュラは、アウトカーストの賎民として差別を受け、人から蔑まれる存在ですが、同時に畏怖される存在でもあるのです。
また女装して性行為を真似た卑猥な仕草を交えた踊りを披露するヒジュラは、インドの男たちの性的対象にもなっています。
ヒジュラの表向きの仕事は出産の祝いですが、裏では男性相手に売春を行なっているのです。
実際の収入の面では、売春の収入の方が表向きの仕事の収入をはるかに上まわるそうです。
ヒジュラが相手をするのは、様々な理由でヒジュラとセックスすることを好む男たちですが、その多くは既婚男性だそうです。
売春はそのヒジュラが属するファミリーが住む家で行なわれることが多いといいます。
乱暴な客に出遭ったときに、仲間のヒジュラやグルに助けを求めることができるというのがその理由だそうですが、
グルの監視の下で売春を行なうことになるので、客から受け取る料金のかなりの部分がグルにピンはねされてしまうそうです。
また多くのヒジュラは男性と結婚しています。
インドでは同じ宗教、同じカーストの相手としか結婚できないとか、結婚に関する制約が多いのですが、このような普通でない結婚を周囲の人間、特に結婚相手の家族に認めさせるためにもちだされるのが「前世の因縁」だそうです。
インド人はみんな輪廻転生を信じているので、ヒジュラが男性と結婚する場合には、現世では男に生まれたけれど、前世では女で、結婚相手の男と相思相愛の仲だったと主張するのだそうです。
この「前世で恋人同士だった」という言い訳は、異なるカースト間の結婚や、異なる宗教間の結婚を正当化するためにもよく使われるそうで、
カースト制度や宗教的な戒律でがんじがらめに縛られているように見えるインド人の生活も、けっこう抜け穴があるみたいです。
インドでは男同士の結婚は法律上は認められていないそうですが、ヒジュラの結婚は事実婚として周囲に受け入れられているといいます。
結婚したヒジュラは、それまで暮らしていたヒジュラの家から出て、夫と一緒に生活を始めますが、売春も含めてヒジュラの仕事をそのまま続ける場合と、専業主婦になるケースの両方があるそうです。
中には養子をとって自分の子供として育て、その子供が成長して結婚して子供を作ると祖母になるという、普通のインド人女性と同様の人生を歩むヒジュラもいるそうです。
インド人と宗教は切っても切れない関係にありますが、ヒジュラの多くは、母なる女神、バフチャラ・マータやシヴァ神を守護神として信仰しています。
またインドがムガール帝国などのイスラム王朝に支配されていた時代には、多くのヒジュラが宦官として重用されたことから、イスラム教徒のヒジュラも多いといいます。
ムガール帝国の時代には、貴族の家庭の召使いは大抵、ヒジュラだったそうですが、これはオマーンのハンニースが召使いの仕事に就いているのと同じ理由からでしょう。
また多くのヒジュラは、ヴィシュヌ神の化身の一つであるクリシュナ神がアラヴァンという男の神様と結婚するために性転換して、女神のモヒニになったという神話にちなんで、みずからをクリシュナ神になぞらえています。
毎年、南インドのタミール・ナドゥ州にあるアラヴァン神を祭る寺院では、自分をクリシュナ(モヒニ)に擬したヒジュラたちがアラヴァン神と結婚する儀式が執り行われます。
この祭りには、インド全土からヒジュラが集ってきて、ヒジュラのミス・コンテストやヒジュラを対象にしたHIV予防セミナーも開かれるそうです。
ヒジュラは政界にも進出していて、インドにはヒジュラの国会議員、州議会議員、市長、町長がいるそうです。
日本でも最近、性転換して女性になった元男性が区会議員に選ばれましたが、性転換者の政界進出という点では、インドの方がずっと先を行っているようです。
パキスタンでは1990年、女性首相、ベナジル・ブットが率いる政権の崩壊を受けて行なわれた選挙でヒジュラが立候補し、「男がやってもダメ、女がやってもダメ、だったらヒジュラだ!」というスローガンを掲げて選挙を戦ったそうです。
また1960年代に当時のアユブ・カーン大統領が、ヒジュラが男の子の出産を祝福することを禁止する命令を出したときには、
怒ったヒジュラがカーン大統領の母親の家に押しかけて、「あなたの息子(カーン大統領)が産まれたとき、私たちは祝福の歌をうたってあげたではないか」と抗議して命令を撤回させたそうです。
インドやパキスタンでヒジュラがこれだけ大きな政治力を行使できるのは、それだけ深くヒジュラが社会に根をおろしている表れだと思いますが、その根底には、
人種や宗教に関係なく一定の割合で産まれる「女性的男性」を抑圧することなく、その存在をありのままに受け入れる、寛容かつ実際的なヒンズー文化やイスラム文化の伝統があるように思われます。
参照文献:
ヒジュラー男でも女でもなく:セレナ・ナンダ
Same-Sex Love in India edited by Ruth Vanita and Saleem
Kidwai
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ヒジュラはウルドゥ語で「半陰陽」あるいは「両性具有者」を意味する言葉ですが、生まれつきの半陰陽はごく少数で、大半は去勢手術を受けてヒジュラになった男性だといわれています。
多くは十代の頃、身体は男だけど、心は女であることを自覚して、自分の意思でヒジュラの共同体に入るそうです。
彼らは日本で言うところの「性同一性障害」に該当しますが、インド亜大陸では、このような男性の肉体と女性の心を持つ人間を「障害者」とはみなさず、神様がそのように作られた人間であると考えます。
インドにはこのような「第三の性」の概念が古くから存在し、神話や民間伝説に両性具有の神様や人間がよく出てきます。
たとえば、インドで人気を二分するヒンズー教の神様、シヴァ神とヴィシュヌ神は両方とも、男の神様ですが、ヴィシュヌ神はシヴァ神の子供を産んでいます。
男に子供が産めるわけないだろッ!
ていわれるかもしれませんが、ヴィシュヌ神はときどき、モヒニという女神に変身(性転換)するのです。
ヴィシュヌ神がモヒニに変身しているのを偶々、目撃したシヴァ神が、その豊満な肉体に欲情し、モヒニと交わって生まれたのが南インドで人気のあるアイヤッパという神様だといわれています。
またある男性が別の男性に恋して、神様に祈って性転換して女になって、愛する男性と結婚するというような民間伝説もけっこうあるそうです。
そのせいか、インドでは男として生まれても、必ずしも一生、男性として生きていかなければならないとは考えられてはいません。
本人が望めば、女性あるいは女性に近い男性、すなわち、ヒジュラとして生きるという選択肢が用意されているのです。
ヒジュラの共同体は、通常、5人から15人程度の、グルと呼ばれるヒジュラの親分とその子分のヒジュラたちから成るヒジュラのファミリーの形態をとっています。
このようなヒジュラのファミリーは多数、存在し、互いに密接な連絡を取り合っていて、必要なときには、有力なファミリーのグルが集って会議を開き、ヒジュラに関する重要な問題を協議するそうです。
インドにはブラーミン、クシャトリア、バイシャ、スードラの4つの身分で構成されるカーストと呼ばれる身分制度が存在しますが、各カーストの身分はジャーティーと呼ばれる何百というサブカーストに細分されています。
各ジャーティーは特定の職業と結びついていて、事実上の職業ギルドを形成しています。
たとえば、鍛冶屋のジャーティーに生まれた人間は、鍛冶屋にしかなれませんが、他のジャーティーに生まれた人間は鍛冶屋にはなれないことから、鍛冶屋の仕事は鍛冶屋のジャーティーで独占できるわけです。
インドでカースト制度の弊害が言われながらも、中々、無くならないないのは、このようにカースト制度が雇用保障の役割を果たしているからだといわれています。
ヒジュラはカースト制度の外にあるアウトカーストという最下層の身分になるのですが、そのアウトカーストの中でヒジュラのジャーティーを形成して、
結婚式や男の子の出産に際して祝福を行なうという、ヒジュラにしかできないとされている仕事を独占しています。
ヒジュラになった人間は、生まれついたカーストに関係なく、アウトカーストの身分に堕ちることになるのですが、同時にヒジュラのジャーティーに所属することでヒジュラとして働くことができるようになるわけです。
ヒジュラの仕事の縄張りは、各ヒジュラのファミリーごとに決まっていて、よそ者や一匹狼が仕事をするのは事実上、不可能で、ヒジュラとして仕事をするためには必ず特定のファミリーに所属する必要があります。
そのため、ヒジュラになることを望む人間はまず最初にどこかのグルが率いるヒジュラのファミリーに入り、そこで古参のヒジュラが行なう去勢手術を受けて、ヒジュラになるのです。
去勢手術を受けることは、ヒジュラのアイデンティティーを獲得するために必要不可欠であると考えられています。
ヒジュラの表向きの仕事は、結婚式に呼ばれて(押しかけて)、新婚夫婦に子供が沢山、産まれるように祈ったり、男の子が生まれた家庭に呼ばれて(押しかけて)、
祝いの歌や踊りを披露することですが、この仕事をヒジュラができるのは、ヒジュラには新婚夫婦に子供を授ける力があると信じられているからです。
このようなヒジュラに固有の能力は、ヒジュラが去勢してみずからの生殖能力を犠牲にすることによってはじめて得られると信じられています。
そのため、去勢していないヒジュラはそのような力を持たないとみなされ、ほかのヒジュラから「本物のヒジュラ」ではないと非難されるそうです。
ヒジュラは怒ったときによくスカートをまくって性器を切り取った自分の股間を見せつける動作をするそうですが、これには自分が去勢した本物のヒジュラであることを示すデモンストレーションとしての意味合いがあるのだそうです。
ヒジュラは子供が産まれた家があると聞くと、その家に押しかけて行って勝手に祝いの歌や踊りを披露して謝礼を要求するのですが、その家庭の主人が謝礼を出すことを拒否すると散々、悪態をついてその家族を呪います。
ヒジュラには子供を授ける力と共に自分を侮辱した家族を呪ってその家族に二度と子供が産まれないようにしたり、生まれた子供が早死にするようにしむける力があると信じられています。
そのため、大抵の家族は、ヒジュラの訪問を内心では迷惑に思いながらも、その祝福を断ってヒジュラの呪いを受けると困るので渋々、彼らの祝福を受けて謝礼を出すそうです。
ヒジュラは、アウトカーストの賎民として差別を受け、人から蔑まれる存在ですが、同時に畏怖される存在でもあるのです。
また女装して性行為を真似た卑猥な仕草を交えた踊りを披露するヒジュラは、インドの男たちの性的対象にもなっています。
ヒジュラの表向きの仕事は出産の祝いですが、裏では男性相手に売春を行なっているのです。
実際の収入の面では、売春の収入の方が表向きの仕事の収入をはるかに上まわるそうです。
ヒジュラが相手をするのは、様々な理由でヒジュラとセックスすることを好む男たちですが、その多くは既婚男性だそうです。
売春はそのヒジュラが属するファミリーが住む家で行なわれることが多いといいます。
乱暴な客に出遭ったときに、仲間のヒジュラやグルに助けを求めることができるというのがその理由だそうですが、
グルの監視の下で売春を行なうことになるので、客から受け取る料金のかなりの部分がグルにピンはねされてしまうそうです。
また多くのヒジュラは男性と結婚しています。
インドでは同じ宗教、同じカーストの相手としか結婚できないとか、結婚に関する制約が多いのですが、このような普通でない結婚を周囲の人間、特に結婚相手の家族に認めさせるためにもちだされるのが「前世の因縁」だそうです。
インド人はみんな輪廻転生を信じているので、ヒジュラが男性と結婚する場合には、現世では男に生まれたけれど、前世では女で、結婚相手の男と相思相愛の仲だったと主張するのだそうです。
この「前世で恋人同士だった」という言い訳は、異なるカースト間の結婚や、異なる宗教間の結婚を正当化するためにもよく使われるそうで、
カースト制度や宗教的な戒律でがんじがらめに縛られているように見えるインド人の生活も、けっこう抜け穴があるみたいです。
インドでは男同士の結婚は法律上は認められていないそうですが、ヒジュラの結婚は事実婚として周囲に受け入れられているといいます。
結婚したヒジュラは、それまで暮らしていたヒジュラの家から出て、夫と一緒に生活を始めますが、売春も含めてヒジュラの仕事をそのまま続ける場合と、専業主婦になるケースの両方があるそうです。
中には養子をとって自分の子供として育て、その子供が成長して結婚して子供を作ると祖母になるという、普通のインド人女性と同様の人生を歩むヒジュラもいるそうです。
インド人と宗教は切っても切れない関係にありますが、ヒジュラの多くは、母なる女神、バフチャラ・マータやシヴァ神を守護神として信仰しています。
またインドがムガール帝国などのイスラム王朝に支配されていた時代には、多くのヒジュラが宦官として重用されたことから、イスラム教徒のヒジュラも多いといいます。
ムガール帝国の時代には、貴族の家庭の召使いは大抵、ヒジュラだったそうですが、これはオマーンのハンニースが召使いの仕事に就いているのと同じ理由からでしょう。
また多くのヒジュラは、ヴィシュヌ神の化身の一つであるクリシュナ神がアラヴァンという男の神様と結婚するために性転換して、女神のモヒニになったという神話にちなんで、みずからをクリシュナ神になぞらえています。
毎年、南インドのタミール・ナドゥ州にあるアラヴァン神を祭る寺院では、自分をクリシュナ(モヒニ)に擬したヒジュラたちがアラヴァン神と結婚する儀式が執り行われます。
この祭りには、インド全土からヒジュラが集ってきて、ヒジュラのミス・コンテストやヒジュラを対象にしたHIV予防セミナーも開かれるそうです。
ヒジュラは政界にも進出していて、インドにはヒジュラの国会議員、州議会議員、市長、町長がいるそうです。
日本でも最近、性転換して女性になった元男性が区会議員に選ばれましたが、性転換者の政界進出という点では、インドの方がずっと先を行っているようです。
パキスタンでは1990年、女性首相、ベナジル・ブットが率いる政権の崩壊を受けて行なわれた選挙でヒジュラが立候補し、「男がやってもダメ、女がやってもダメ、だったらヒジュラだ!」というスローガンを掲げて選挙を戦ったそうです。
また1960年代に当時のアユブ・カーン大統領が、ヒジュラが男の子の出産を祝福することを禁止する命令を出したときには、
怒ったヒジュラがカーン大統領の母親の家に押しかけて、「あなたの息子(カーン大統領)が産まれたとき、私たちは祝福の歌をうたってあげたではないか」と抗議して命令を撤回させたそうです。
インドやパキスタンでヒジュラがこれだけ大きな政治力を行使できるのは、それだけ深くヒジュラが社会に根をおろしている表れだと思いますが、その根底には、
人種や宗教に関係なく一定の割合で産まれる「女性的男性」を抑圧することなく、その存在をありのままに受け入れる、寛容かつ実際的なヒンズー文化やイスラム文化の伝統があるように思われます。
参照文献:
ヒジュラー男でも女でもなく:セレナ・ナンダ
Same-Sex Love in India edited by Ruth Vanita and Saleem
Kidwai
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by jack4africa
| 2008-10-03 00:14