2008年 10月 14日
インディオの伝統 |

サポテカ族のムシェたち
スペイン人による征服前、中南米に住んでいた先住民のインディオたちの間で男色の習慣が広く浸透していたことは、征服者であるスペイン人が書き残した記録によってよく知られています。
メキシコを征服したスペイン人、エルナン・コルテスは、当時、メキシコを支配していたアステカ帝国のモンテズマ王にスペインから連れてきた金髪の美少年を「小姓」として献上し、
モンテズマ王がこの美少年にゾッコン参ってメロメロになる頃を見計らって、王に「少年を返すか、さもなくば降伏せよ」と迫ったといわれています。
もっとも、これは征服されたインディオの側の言い伝えで、当のスペイン人はこの話を否定しているそうです。
スペイン人は男色に耽るインディオを「神の教えに背く忌まわしい行為を犯す野蛮人」であると決めつけて、インディオの虐殺を正当化したそうですから、
たとえ、モンテズマ王を罠にかけるための策略であったとしても、そのような手段を使ったことは認めたくないのでしょう。
スペインに征服されたあと、メキシコは長い間、スペインの植民地になり、独立後もスペイン系の白人の支配する国になりますが、インディオの習慣はまだ根強く残っています。
そのひとつの例として、メキシコにはかって北米インディアンや中米のインディオの間でみられたベルダーシュが現存していることが挙げられます。
ベルダーシュとは、身体は男性に生まれながらも心は女性であると考えて、女装して女性として生きる男性や、身体は女性に生まれながらも心は男性であると考えて、男装して男性として生きる女性のことを言います。
メキシコ南部のオアハカ州に住むサポテカ族の間では、ムシェと呼ばれる男性のベルダーシュが存在し、ムシェと較べて数は少ないものの、マリマチャと呼ばれる女性のベルダーシュに相当する男っぽい女性もいるそうです。
サポテカ族の社会は女系制で、男たちが小さな農地を耕す一方で、女たちは豚やニワトリを飼育し、自分で作った様々な加工食品を市場で売って稼いでいます。
女性たちは自分で働いて収入があるため、経済的に男たちから独立していて、家庭内での主導権も女性が握っているそうです。
そのような女性の強いサポテカ族の間では、女っぽい男の子、つまりムシェが生まれると、両親、特に母親は嘆くどころか、喜ぶといいます。
ムシェは、普通の息子や娘のように結婚せず、ずっと母親と同居して、母親の仕事を助けてくれるからです。
地域によっては、5人続けて男の子が生まれると、5人目の男の子はムシェとして育てるという習慣があるそうですが、基本的には子供の頃から女っぽく、
女の子と一緒にままごと遊びをするのを好むような男の子が自然と周囲からムシェとして認められ、本人もムシェとしてのアイデンティティーを形成していくそうです。
ムシェは身体は男でも心は女だと考えているので、当然のことながら、セックスや恋愛の相手は普通の男性になりますが、稀にムシェ同士でセックスすることもあり、そのような関係を彼らはレスビアンと呼ぶそうです。(笑)
以前、「世界ウルルン滞在記」というテレビ番組で、このサポテカ族のムシェの特集をやっていましたが、
この番組を観て気がついたのは、サポテカ族の人々がムシェも含めて純粋のインディオではなく、インディオと白人の血が混じったメスティーソで、スペイン文化の影響を受けているということです。
たとえば、番組では、仕事で疲れた妻を慰めるために夫がギターを弾いてセレナーデを歌うシーンが登場しますが、ギターやセレナーデはスペイン人がメキシコに持ち込んだもので、インディオに土着のものではありません。
なによりサポテカ族は全員、カトリック教徒なのです。
これはどういうことかというと、サポテカ族がスペイン人と接触することの少ない僻地に住んでいたために、ムシェのようなインディオ独自の習慣が現在まで残っているのではなく、
サポテカ族とスペイン人の接触はあったものの、サポテカ族、つまりインディオの文化の方が圧倒的に優勢だったために、スペイン文化を飲み込んでしまったということだと思います。
このことはサポテカ族に限った話ではなく、程度の差こそあれ、メキシコ全土にあてはまるような気がします。
2006年2月にメキシコを旅行して気がついたのは、メキシコは、国民の大部分(90%)をインディオとインディオと白人の混血であるメスティーソが占める、事実上、インディオの国で、
スペイン人によってもたらされたスペイン文化の名残りはみられるものの、主流を占めているのは土着のインディオの文化であるということでした。
スペイン人はメキシコを征服する過程で、インディオの男を殺し、女をレイプしたといわれていますが、インディオの男たちが大量に虐殺されたことは、女系文化であるインディオの文化の衰退にはつながらなかったようです。
元々、インディオの住む農村社会では、夜這いが盛んであった戦前の日本と同様、村の女たちは、不特定多数の男たちと性交渉をもち、その結果、生まれた子供は、村全体の子供として分け隔てなく育てられたそうで、
子供の母親はだれかは判っていても、父親はだれかはわからず、そのため、父親の影は薄かったといわれています。
スペイン人にレイプされたインディオの女性が産んだ子供の子孫が現在、メキシコ国民の大半を占めるメスティーソにあたるわけですが、インディオの母系文化の影響か、
彼らは父方のスペイン文化よりも母方のインディオ文化の方を色濃く受け継いでいるという印象を受けたのです。
実際、メキシコを旅行していると、肝っ玉母さんといった感じの逞しく太った中年女性をいたる所で見かけ、サポテカ族に限らず、メキシコが女の強い国であることがよくわかります。
ムシェのような女装の男性もサポテカ族に限った話ではなく、メキシコ全土に存在し、メキシコ・シティーには女装の男娼だけが立ちんぼうしている有名な通りもあるそうです。
サポテカ族ではムシェと呼ばれる女装の男性あるいは女性的なホモは、メキシコのそれ以外の地域ではロカと呼ばれます。
ムシェの場合もそうですが、メキシコの地方では、家事で忙しい母親に変わってロカが子供たちの面倒をみる習慣があります。
ロカが子供の面倒をみるのは、子供が思春期に達する頃までだそうですが、男の子の間でよくロカの取り合いが起り、ロカが特定の男の子と仲よくすると、ほかの男の子たちが猛烈に嫉妬したりするそうです。
ちょうど、幼稚園児の男の子が人気のある女の先生を独り占めにしたがるようなものらしいです。
また思春期までロカに面倒をみてもらうということは、男の子の性の手ほどきもロカが行なう可能性が大きいことを示唆しています。
メキシコはカトリックの国で、まともな若い娘はそれほど簡単に男の子に身体を許しませんからね。
アメリカのゲイリブ理論家は、メキシコではマッチョ信仰が強いので、女装の男性は軽蔑され、差別と迫害の対象になっているなどとよくいいますが、
子供の頃からオカマに親しんで育ち、初体験の相手がオカマだったメキシコ男がオカマを嫌いになるわけないでしょうが!
もちろん、メキシコにも女装の男性をからかう男たちはいるでしょう。
しかし、女装の男性でも若くて美しければ男たちからチヤホヤされるし、ときには崇拝さえされるのです。
そのへんの感覚は美輪明宏さんやピーターのような女装のタレントが活躍する姿を見慣れている我々日本人にはよく理解できるんじゃないでしょうか。
メキシコで一番、有名な伝説的ドラァグ・クイーンは、ラ・ソチル(La Xochil)という人です。
ソチルはマヤ語で花を意味する言葉ですが、スペイン人に征服される前のメキシコの先住民の間では、同性愛者を花に譬える習慣があったといわれています。
ラ・ソチルはメキシコの農村地帯の小さな町で生まれ、小さい頃は、女性的な子供でよくイジメられたそうですが、年頃になるとメキシコ第二の都市、グアダラハラに出て女装の生活をはじめます。
1930年代後半のことで、若くて美しいラ・ソチルがスペインの貴婦人の衣装に身を包んで闘牛場に現われたときには、場内が熱狂の渦に包まれたといわれています。
闘牛では、闘牛士たちは自分が殺した牛の耳や尻尾を切り取って、闘牛場にいる自分が敬愛する貴婦人に捧げる習慣があるのですが、闘牛士たちが本物の女性を無視して、こぞって耳や尻尾をラ・ソチルに捧げたので、
本物の女たちが怒って喧嘩になり、最後にはとうとう、ラ・ソチルは闘牛場に出入り禁止になってしまったそうです。
その後、彼(女)はメキシコ・シティーに移り、政府高官や金持ち客相手の高級売春宿を何軒も経営するようになります。
売春宿の女将としては、強欲なタイプではなく、売春婦やそのヒモたちの面倒をよくみたといわれています。
警察は客の中に自分たちの上司を発見するのを恐れて、ラ・ソチルの経営する売春宿や秘密のゲイクラブには絶対に手入れを行なわなかったそうです。
1960年代に彼女がメキシコ・シティーの高級ホテルで催した盛大な仮装舞踏会はいまでも語り草になっているといいます。
この舞踏会では、ラ・ソチルは、上半身裸の筋骨逞しい「エジプト人」が担ぐ輿に乗ってクレオパトラの扮装で現われ、そのあとを従者に扮した彼女の取り巻きが続いたそうで、
クレオパトラに扮した彼女の写真は、翌日のメキシコの新聞各紙の一面を飾ったそうです。
その後も彼女は毎年のように慈善パーティーを開いたそうですが、メキシコでは彼女のパーティーに招待されることはセレブの証明であると考えられていて、
パーティーに招待されるとみんな大喜びして、パーティー会場では「メキシコの女帝」とあだ名された彼女にうやうやしく拝謁したといわれています。
メキシコのようなカトリックの影響の強い保守的な国で、ホモセクシュアルの女装の男性がこれほど大っぴらに活動できたのは、政府高官に強いコネがあったからだといわれていますが、
なにより一般のメキシコ人が女装の男性に抵抗感を示さず、女装の男性でも美しければ、その美しさを素直に賛美するという、インディオ以来の伝統を受け継いでいたことが大きかったのではないでしょうか。
参照文献:
Isthmus Zapotec Attitude toward Sex and Gender Anomalies by Beverly N. China
Legend, Syncretisme, and Continuing Echoes of Homosexuality
from Pre-Columbian and Colonial Mexico by Clark L. Taylor
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by jack4africa
| 2008-10-14 00:14

